2015年10月23日金曜日

どこまでやると歴史修正種となるのか?

歴史問題というのは、立場が違うと共通認識をもつのは難しい。
日本人だから、どうしても日本サイドに立った考え方の方が勝る。悪かったことは謙虚に反省するにしても、故ないことにまでを一方的に責められても、事実と違うことは納得しがたい。

歴史修正主義(Historical revisionism)とは、単に修正主義とも言うが、使われ方としては、
従来の歴史観と違う歴史観を主張する者に対して「客観的な歴史学の成果を無視し、自らに都合の良い過去は誇張や捏造したり、都合の悪い過去は過小評価や抹消したりして、自らのイデオロギーに従うように過去に関する記述を修正するものである」として批判する場合に用いられる言葉としての側面が大きい。
かなり政治的ニュアンスが含まれている言葉のように感じます。
しかし、歴史というのは巷間言われていることが全て正しいとは限らないし、後世の研究によって評価が変わることがありえたとしても不思議ではない。
今更、先の大戦についてどうこうしたいと思っているわけではないし、正当化しようとも思わないし、結果が変るわけでもないが、少なくとも時代背景や国際情勢、現実に起こった事態への経緯とその後の経過というものについては検証してみる必要はあると思う。
それらの詳らかな資料の収集や研究は、後の時代に残し、後の時代の評価に資する。
そういうことを調べたりして判ったことを発表する人に対して、歴史修正主義者として否定したり糾弾するのは、少し違うような気がしてならない。

歴史研究のそれが、金科玉条のように全て駄目だということになれば、観点は違うかも知れないが、考古学は成り立たない。
新しく発見された史料や既存情報の再解釈により、歴史を叙述し直すことは、有り得て然るべきなのではないだろうか?
戦後教育によって刷り込まれた知識によりコメントをする識者たちは、日清日露戦争に勝利したことに味をしめ、指導者たちが無謀な戦争を愚かにも起こしたと言うのが常だが、独立国として生き残る為に、国の存亡をかけて叶わぬまでも戦おうとしたのだということは、日露戦争の開戦前の苦渋の選択からも類推できる。
指導者たちが馬鹿ばかりだったとは思えない。同様の事態に立ち至ったとき、どのような選択をするだろうか。
戦後、今に至るまで「では、日本はどのようにすればよかったのだ。」ということに明確に意見を述べている人はいないように思う。


ABCDラインによる経済封鎖、宣戦布告に近いハルノートを受けての太平洋戦争は、後にマッカーサー元帥がアメリカ議会で証言したという「日本の戦争は、侵略戦争ではなく安全保障によるものであった。」という記事を読んで、意外な感慨を覚えたのです。

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