マスコミが質問して答えを聞こうとすることで、いつも違和感を覚えてしまうことがある。
靖国神社の参拝である。
個人としての立場であれば、信ずる宗教が違うから参拝しないというなら解かる。
しかし、公人ということになったら、国の為に命を捧げてくれた方々に感謝と慰霊の誠を示すことは、個人の心情に優先するのではないのか?
国民の代表者たる総理大臣ということになったら猶更のことである。
靖国に参拝して戦争を起こそうなどと考える人はまずいない。不戦の覚悟を告げるのである。
反省が足りないという主張も、きりのないことを求められているようで、限度というものがないように思える。
記者だか識者だか知らないが、参拝すると中国が怒るからやめるべきだという論は、一体どこの国の人なのかと出自を疑ってしまう。
他国に阿るようなことで、如何に国独自の尊厳を保てるというのか。
日本人は死んだら誰でも弔われるのだというのが、長く培われてきた国民感情である。
A新聞が騒ぎ立てたことで中国が外交カードとして使えるとしてしまったが、本来政治問題としてしまってはならないものなのではないのか?
慰霊に訪れるのはどこの国であったも普通になされ、どこからも非難されることはない。
そういうものと何ら変わりないのだと、マスコミも識者も穏やかに訴え続ける努力をしないと、
いつまで経っても政治とイデオロギーの具として使われ続ける。
音頭をとっているA新聞が方針を変えることはないだろうが、国益というものをどのように考えているのかが気になる。
中国のみならず韓国に対してもそうである。
あれだけ旭日旗に反対する韓国が、旭日旗そのもののような社旗には一切文句を言わない。
彼の国擁護の姿勢が彼らに行きわたっているからだとしたら、ことは簡単ではない。
誰もが賛成するものはなくて当然だが、霊となった方々は堪ったものではあるまい。
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