2021年9月21日火曜日

信用しあえる基礎

 

国の基本となるのは学問なのだと思う。

何を学ぶかと言えば、単なる知識ではなく、生活に役立つ実学と、互いが信頼しあえる関係の基礎となる約束を守るという理念。

教えられなくても昔からそれが身についている民度の国と違い、約束を破ることは恥なのだという常識が育っていない国であれば、猶更のこと学問が必要であることはいうまでもない。

 

鎖国中であった江戸時代であっても、日本人の識字率は世界有数であったとされる。

明治維新を経て外国の文化を急速に取り入れられたのも、学問の力により翻訳に力を注いでくれた先人たちの努力が大きい。

外国語によらず自国の言葉でものごとを理解することができたからである。

独自翻訳力

https://www.youtube.com/watch?v=kKkh3Wegu7U

 

これらがなかったら、近代的知識を学ぶには外国語によるしかなかった。

日本が翻訳した言葉がなかったら、現在の中国で使われている熟語も成り立っていないとさえ言われる。

漢字文明を捨ててしまったことで遠回りする道を選ぶことをした国々との差は大きい。

 

日本は現金決済を重視し、クレジットカードでの決済が普及していない遅れた国だとバカにしている国が有る。

な~にを言ってんのだかね。そんなことだから他国の通貨のデザインにまで文句をつけることになる。

「学問のすすめ」でも読んで勉強した方がよい。

 

クレジットカードでの支払いは一時的とはいえ借金である。

そんなことも解らず、返せる当てもないのにカードを使い、挙句の果ては支払い不能となって自己破産するのは、学問を正しく理解できずに、信用というものがいかなることなのかが判らない愚か者がすることではないのか。

信用が失墜してしまい、クレカが使えなくなるかも知れないといわれているのではないのか?

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