2016年6月14日火曜日

自国のことより先にやったことだという

昔はそんなこともしたのかと思う歴史を知りました。
世界に類を見ない敵の弔魂碑の建立をしたということを知る日本人は少ないのではなかろうか。

乃木大将は旅順での戦闘が終わっ た後、「ロシア将兵の墓地が散在しているので、できれば 1 箇所に集めて標識をつけ、氏名などを明らか にして供養したい」と述べ、1908 年(明治 41. 年)3 月、旅順の案子山(あんしざん)にロシア風礼拝堂を建立した。
自国兵の慰霊は後回しにした。戦いが終われば敵をも敬う武士道精神は、ロシア国民をも感激させたという。
馬鹿扱いもされたらしいが・・・

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