2016年6月13日月曜日

議論もできないままで良い筈はないと思うが

ある意味で最も社会主義的な制度が成功した事例の国であるという言われ方をするわが国ではあるが、共産主義が良いと思っている国民は極めて少ないのではなかろうか?
現実問題として、共産主義が成功していると思える国はないといえることを理解しているということであろう。

我が国は、世界に例を持たない戦争を放棄した国ではあるが、土台憲法に無理があった。
「いかなる戦力もこれを保持しない」というのでは、国を守れない。
自衛権ということを放棄したかのように受け止められたのではなかったか?
ことの自然の流れとして、米軍の駐留に頼るしかなかったから、形は違うとはいえ、現在に至るも、占領時のままである現実を色濃く残した。
基地の弊害も、そんなところに起因する。

世の中に不変のものはありえない。
憲法といえども、その範から外れるわけではないのだが、それに触れるのはタブーとなっているかのようです。
国と国民を護るために、国および政府が守らねばならない根幹をなす法であり、ころころ変わるようでは安定性を欠くが、憲法を守ることで国が滅びてしまうのでは本末転倒といえよう。
時代時代の状況に合わせてよりよい対応ができる法に成長していくことは必要に思える。

憲法というと、すぐに9条に結び付けて目くじらを立てる人が多いが、憲法は9条だけで成り立っているわけではない。
タブー視してしまってまっとうに議論もできないのでは、閉塞的すぎるのではないだろうか?

憲法論議はいろいろあるが、日本国憲法を書いたのは日本ではないことは、アメリカの公文書上も明らかである。
だから日本が独自に憲法を制定する必要がある、ということを言いたいのではない。
世界と日本の実情に合致した機能する憲法というのを、改正するしないにかかわらず、タブー視することなく国民全員が真剣に考えてみる必要があるように思う。
より良いものにすることができる可能性を否定するかのような論議に集約されてしまっては、思考が停止してしまう。

軍隊を持てば必ず戦争をする、というわけでもあるまい。戦争を仕掛けられない体制づくりだってできなくはあるまい。

憲法の名宛人は国民である。すなわち政府が国民に対して守らねばならない法ということであることに変わりはない。


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