2016年6月1日水曜日

何故そう言ったのかには表面に表れない理由があるものだが

何かものを言う場合、そう言うのには理由があるが、その理由は一つや二つではなくて、それも表面に現れていてわかりやすいものでない思惑というものもある。
勿論のこと本音と建て前というのがある。
ものを言うときの真意や、なぜそういったのかという背景を考えてみる習慣も必要である。

報道を読んだり聞いたりしていると、そういうあたりに触れたものは殆どなくて、誰それがこう言っていた、かれそれがこんなことをした、ということにとどまることが多い。
そうでなければ、自説に無理やり誘導しようとした書き方になる。
どっかの国の妄想記事ではあるまいし、目的を一本に絞ったような言い方には疑念しか残らない。

また、海外の人が言っていると、それは無条件で受け入れなくてはならないような言い方に持っていくことも多いが、そんなのはその国の国益上のことが主になっているのだから、日本にとって不利益に決まっている。
日本にとってどうするのかというより、相手国の言う通りにしなくてはならないような主張をされても了解しがたい。こちらにも事情がある。

全てをそうすることは不可能であろうが、可能な限り自分で理解し判断できるような癖付けを日頃から心がけるようにしないと、他人の意見に引きずられるだけの人になりかねない。


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