2016年6月23日木曜日

自分で決めつけなくても良いものはある

世の中には、あるかも知れないし無いかもしれないというものが沢山ある。
得てして、証明されないと信じないということになりがちであるが、可能性を否定してしまう結果になることを避ける方法というものはないのだろうか?
解らないことは解らないとしてとどめておくほうが良いように思える。

逆に、門外漢であることを考慮に入れないで、自分の理解を超えることについて、他者の意見にまるまる乗っかって解ったつもりになるのもしないようにするだけで、多くの可能性を残せるように思う。

そういう意味で、科学者とか識者とか評論家のいうことはどこまで信用するかということにもならから、鵜呑みにしないことも大切なことのように思われるのです。
彼らには、自分の知識や情報だけではなく、イデオロギーや既得権益や組織の方針や、その他諸々の制限がかかっていても不思議はないし、それが一概に悪いとはいえないが、「自分の意見としては現在こうであるが、可能性としてはこういうことがある。」と一言添えてくれると有り難いと思うのです。

例えば、よってたかって詐欺扱いにしてしまったスタップ細胞も、あの緑色に発光していたものは今までに発見されていなかったことは確かなことなのだから、それが何なのかを究明する必要があるだろうという余地を残すとか・・・

UFOとか神様とか超常現象とかも、荒唐無稽と頭から否定してしまうのだはなく、証明できないまでも疑問点に触れることくらいはできそうに思うのです。

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