2016年6月19日日曜日

見えないけれどきっとある「お蔭さま」

日本では、太古の昔から万物に霊性を感じ取り、神様がいるのだとして、それらを八百万(やおよろず)の神と敬ってきました。周りのすべてに感謝できたということになります。

神様が一神だけであるとすれば、それ以外の神様を信じることは許されないし、突き詰めれば他を認めることもできないということになる。
沢山の神様がいることを是とするということは、他の神々も争わずに認めるということだから、八百万の神様を敬う日本の考え方がひろびろしているのだと感じます。
森羅万象全てを神として、祈りとともに生をつないできたこれらの行きつく先は和。
和をもって尊しとしてきたのだと、思い当たることが多い。
だから私たちは、日頃ことあるごとに「お陰様で」と、誰もが心から口にできていたのだと思います。
「お蔭様」は、自分以外から望外に日々受ける利益や恩恵を意味する「お陰」に、更に「様」をつけて、丁寧に感謝の心を表した言葉であります。
「陰」は神仏などの偉大なものの陰、陰は即ち光のことで、影とは違います。
光があたったことが庇護を 得たことと受けとめ、「お蔭」と言ったのだと思います。

「お陰様」という存在は、見えないけれどもきっとあって、時々私たちのところへ訪問して来てくれているのだけれど、それに気づいて「お陰様」と言えるかどうかが、幸せへの入口に立てるかどうかを分けているに違いないと思うのです。


0 件のコメント:

コメントを投稿