2016年6月30日木曜日

声の大きい方が勝つ?

何らかの紛争が起こったとき、どちらか一方が絶対的に正しいということは滅多にない。
双方に主張はあり、双方に落ち度があるというのが普通です。

日本では、あえて言わないことが大人の対応とか美徳と考えるところがあります。
なにか問題があっても「すみません」とさえ言えば、「謝っているから、この辺で許してあげよう」ということにもなるし、「いえいえ此方にも至らないことがありました。」ということになって丸く収まる。

しかし、国際社会においてはそうはいきません。
中国では「柔らかい土はもっと深く掘れ」韓国でいえば「水に落ちた犬は叩け」ということになり、弱みを見せたら最後だというところがあります。

国際社会では「謝罪すること」=「罪を認めること」
それは即ち、「償い(=賠償)をすること」にイコールに結びつきます。
だから諸外国人は、自分が悪いという認識があってもまず謝りません。

問題があったら騒ぎ立て、声の大きい方が勝つということになります。
だから、戦争は紛争を解決する最後の政治的手段ということになっていて、それを悪だとは思っていないところがあるように思えます。

我が国は、もめごとにしないで丸く治めようとしてきたあまり、主張すべきところを主張しないできたことで損ねた国益というのは大きい。
反論しないということは、それを認めたということになりかねないから、事実でもない言いがかりのようなものには、きちんと対応しないと、取り返しがつかない結果を招くというのが、世界の常識です。


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