2020年6月21日日曜日

覚悟を据えて生きていた時代とは違うにしても


「是非に及ばず」
生涯を閉じざるを得ない場面を迎えて、このように鮮烈な言葉を出せるかどうかを考えるとき、この年になっても甚だ心許ない。

この一語をむかし読んだとき、小生意気な理屈を捏ね回していた年ごろだったが、それだけで兜を脱いだ記憶がある。良いだ悪いだを言ってもしょうがないなどという気楽なものとは違う。
全てをそのまま受け入れる覚悟がいつもできていないと出てこない言葉である。
命のやり取りを日常的に繰り返す戦国時代の中にあって、普段から自分の死はいつやってくるか判らない日々だったとしても、これは鮮烈な言葉であった、誰もが到達できる境地ではない。

寄せ手が光秀だと知るや、光秀の手配りであれば手落ちがある筈がないと、相手の力量もその実力通り評価して、死を的確に覚悟したということでもある。
自分はそんな心境には未だ至らず、些細なことどもに心定まらず、明日をのみ思い煩うありさまである。
平和な時代というのはお気楽なものであるが、それでよいとして便々と過ごすだけでは気が引ける。
歴史に残る大事を為した人たちというのは凄すぎる。

2020年6月20日土曜日

星からやってきた先祖


冬空は空気が澄んでいて、星々が美しく見える。
西洋では、地上に居た神々が空に上がって星座になったとされ、それぞれの神々の物語があるが、日本では、天の神々が地上に降りてきて人々を導いた。
昴星(ぼうせい)、すなわちスバル。
プレアデス星団は、別名、六連星(むつらぼし)とも呼ばれ、動詞「すばる(統ばる)」に由来して「すばる」と呼ばれることが普通である。枕草子にも見られる。同じ星団を指す漢字「昴」をあてる。
オカルトっぽく感じるが、日本人の先祖は、このスバルから移住してきたのだという説がある。それ以前のスバルは七連星であった。日本人の遺伝子は、どうも多民族とは違うものがあるのだという。

2020年6月19日金曜日

縄文文明を無視できない

猿だって簡単な石器くらいは使うが、磨製石器は作れない。そこが人類との大きな差である。
石器は、原料となる石材を他の石材や獣骨などで敲打(こうだ)したり剥離したりして製作する。磨製石器はこのように製作した石器を、さらに砂や他の石で擦ることにより磨いて凹凸を極力なくして作る。磨かないままのものは打製石器と呼ぶ。
母材の石が緻密なほど表面はなめらかで鋭利となり、樹木伐採などに使用する場合でも何度も繰り返して使用できる。
世界最古の例は日本のものであるとされ、38千年前から35千年前に遡る。

ちなみに、現在世界最古と考えられる土器の一つが、青森県大平山元遺跡の縄文土器。
放射性炭素年代から推定すると、約16000年前。
これらのことから多くの研究者は、遅くとも15000年前には日本列島で土器が使われていたと考えられている。
中国が悔しがって20000年前のものが出土したと発表したことがあるが、研究のために見せてほしいと要請したが拒絶され、しばらくすると盗まれてしまったと発表した。

世界四大文明などと未だに言っているのは日本くらいのものである。
最古級の歴史を持ち、文明も世界に誇れるものを持っていたのだと認識した方が良い。
古いからどうだのこうだのを言いたいのではないが、考古学的検証というのは事実に基づかなければ、科学的であるとはいえない。
日本の学界は、日本が中国や韓国の亜流のようにもっていきたいらしいが、言語体系が違うことをどうやって説明するのだろうか?
生物学的にも、染色体に他民族とは差があるのだということが証明されてしまっている。

日本は駄目だ駄目だと貶めたい勢力はいまだに根強いが、そもそも持っている実力を覆い隠すことなぞ不可能である。多くの日本人が本来持っているのに隠されていた能力と国力の強さに気づき、誇りを取り戻しつつあるように感じる。マスコミなどの世界に食い込んで日本を欺こうとしていた連中は段々に炙り出されてくるようになったのも、国民が情報源を多数持つことができるようになったからである。
2700年の歴史を紡いでくることができたのには根拠があるのである。

2020年6月18日木曜日

刷り込まれたままの歴史から脱却


日本は悪い悪いと言われて育ったら、まともな国民が住む社会になるわけがない。
そういわれ続けてきたことで歪められ、発展が阻害されたことでの国益の損失と、何よりも誇りを持てなくなった若者が増えたことを、そろそろ見直さなければなるまい。

表現が適当でないことは承知だが、「盗人にも三分の理」とか「一寸の虫も五分の魂」という言葉がある。
なにごとであれ、それをしたことには必ず理由があるのだということを無視したままで検証はできない。
なにも今更過去を掘り返して正当化しようというのでも、歴史を修正しようというのでもない。

終戦後には食糧難を乗り越えられたのを始め、復旧にひとかたならぬ援助をして頂いた恩義を忘れるわけにもいかないが、良いも悪いも含め事実がどうであったかくらいは、そろそろ知った方が良いのではないかと思うのである。理由というのは必ずあるからである。

1919年に日本は国連で人種差別撤廃を唱え、多数国の賛同を得たが、議長国であった米国が、このような問題は全会一致でなければならないとごり押しして廃案となった。植民地を持つ白人国が危機感を覚え、黄化論が起こるきっかけになったりしたが、日本はもうそんな昔から、奴隷制度まで残す植民地支配をしている白人諸国からのアジア諸国の独立も掲げていたのである。

終戦間際になってから、敗色の濃い日本に対し、不可侵条約を一方的に破って背後から襲い掛かった破廉恥行為をしたにも拘わらず、終戦後に日本の分割統治を主張したような国も相手だったのである。
その国は、日本将兵を捕虜として長期間抑留し、シベリアで強制労働に従事させもした。

国際裁判などというのをして、法治国ではあるまじきものとされる事後法による茶番劇で日本側のみを裁いてA級戦犯なるものを創り上げたが、戦勝国側の毛沢東やスターリンの犯した非人道的行為が裁かれはしなかった。
戦勝国側が敗戦国の指導者を死刑にしたいというなら、それで一貫すれば済むこと。忸怩たる思いを覆い隠すために押し付けたものが、その後の日本を長きにわたって苦しめている。
日本人の尊厳を根底から破壊できるほどの正義が彼らにあったとでもいうのか?
紛争を解決するための最後の政治的手段が戦争であるというのが当時の世界常識だったのであるから、勝った負けたで決着できたはずである。

パリ不戦条約というのがあった。第一次世界大戦後に締結された多国間条約で、国際紛争を解決する手段として、締約国相互での戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することを規定したものであるが、条約批准に際し、米国は、自衛戦争は禁止されていないとの解釈を打ち出した。さらには英国と米国は、国境の外であっても、自国の利益にかかわることで軍事力を行使しても、それは侵略ではないとの留保を行った。随分都合の良い言い分である。
しかし、経済封鎖は戦争行為そのものであるとの解釈もされていた。
だとすれば、ABCDラインによる日本への経済封鎖は、宣戦布告に等しいものだと言える。
フランクリン・ルーズベルト大統領は、何としても日本と戦争したかった。

戦争が悲惨なものであり、戦っても勝てるかどうかさえ判らない不安を抱えながら、敢えて戦争に踏み込むには、それを為すための旗印が必要であった。大義として掲げて戦うだけの理由がなくて国を挙げての戦争はできない。見境もなくそれに走るほど日本人が愚かであったとはとても思えない。
戦争に至る理由としたものを日本人が知ることを、どうしても封じ込めたかった強い勢力があったから、日本人はそれを知ることなく過ごしてきたのだと思う。
情けないことに、それに加担した日本人が沢山いた。彼らは日本人の美徳や誇りや文化を否定し、今もそれを引き継いでいる勢力が根強く残っている。

戦後に我々が教えられたことは、野蛮な日本軍が東南アジア諸国に侵略して悪事の限りを尽くしたのであるから、日本人は深く反省しなければならないという一点だけであった。
どう考えたって、日本人がそんな民族性の国であった筈がない。
しかも、その教育は、植民地支配時になした白人国側の悪行の数々まで、日本によるものだとして擦り付けるという悪辣ぶりであった。どちらの方が残虐行為を沢山したのかは、明白な事実として残っているのではないのか?
だから、何故に日本が国家の存亡を懸けてまでそうしたかを知られることや、それに至る理由に触れることはタブーであった。
今だって、その理由を知らない人が殆どであろう。

日本を悪者と決めつけ、一方的に押さえ込むための先兵として使われたのは左翼思想に固まった日本人たちであったことは想像に難くないし、以後、その流れは今に至るも脈々として引き継がれていることにやりきれなさを覚える。
日本人が、掲げた正義と大義がどんなものであったのかに気づかれてしまうのは、人道を名目的に建前とする彼らにとっては、何としても防がねばならないのであろう。そういう意味では、思惑通りに上手くしてやったと言える。

日本はアジア諸国に侵略したというが、日本軍が戦った相手は植民地支配をしていた白人国軍と、その植民地支配に加担していた華僑であって、現地民と戦ったわけではない。なぜなら、彼らは武器を持たされていなかったからである。
戦後、植民地支配をしていた国々は、再度それを復活させようと目論んだが、ついにそれは果たせなかった。それはなぜなのかと考えてみるだけで、いろいろ解ってくる。
事実というのは、良いも悪いも隠しおおせるものではない。

東南アジア諸国が日本を恨んでいるからという謳い文句は、日本人を押さえ込むのに有効であったが、近年になると流石に左翼的マスコミ或いはジャーナリストも使えなくなったのは、恨みを持って反日的なのは、特亜3国のみであるということが日本国民に判ってきてしまったからであろう。
それでもまだこじつけ理論で頑張っている者もいるが、相手にされなくなってきている。
捏造或いは歪曲したことを根拠として主張するのでは、整合性がなくなるからである。
我々は、民族としての誇りを、そろそろ取り戻しても良いのではなかろうか。

2020年6月17日水曜日

見えないところで動くツール


ツイッターのアカウントが大量に停止されたというニュースが少し前にあった。
フェイク情報を大量に流して世論をミスリードしようとしていたからだとされる。
ズームというのもある。表向きはアメリカの企業ということになっているが、社長はもと中国人なのだという。
ズームを使って天安門事件に関する会議をやろうとしたところ、これに参加しようとした人たちのアカウントが停止されてしまったのだという。中国からの要請があったのでそうした、との説明があったのだというが、SNSというのは操作されやすいということなのだろうか?

これらのツールは安上がりで情報活動ができることや、書き込みをする人の情報が秘匿されていることもあって、隠れたところからならどんな卑劣なことも可能となるから、フェイクや誹謗中傷に使われやすいという難点がある。便利な機能をもっていても、悪用する人がいるのだとなれば、規制がかかるようになってもやむをえまい。

ファーウェイの使用禁止問題も、組み込まれるチップに情報抜き取りのプログラムが入るからだと言う人がいるが、そんなことが最初からばれるようなことをするわけはあるまい。
情報ネットワークを組み上げるのには莫大な費用がかかる。それを構築した後にはメンテナンスが必要となる。その段階になってから情報を抜き取ることなら簡単にできる。そうなってしまってからでは防御できないから、それを危惧するのは当然なのだと思う。
目先の安さに惑わされれば、取り返しがつかなくなることがあるということなのだと思う。

2020年6月16日火曜日

クルド人までも疑いを持つデモ


破防法調査対象団体に指定されているのは、ウィキペディアによれば現在17.
指定年月順。19732月の国会質疑では以下16団体、1995523日にオウム真理教が追加された。
3.  護国団
4.  全学連
9.  国民同志会
しかし、海外で暴力的行動で猛威を振るっているアンティファを、日本国内で野放しにしたままでいいとは思えない。
実態が明らかでないという説もあるが、それを象徴する旗やシャツを規制するだけでも効果があるのではなかろうか。
渋谷におけるクルド人差別反対デモというのも、背後関係がかなり怪しいのではないのか?
クルド人文化協会でさえもが声明を出して、このデモを支持しないと言っている。
人種差別反対を叫んではいるが、R党やK党の議員まで加わってのそれは、反政府運動に誘導するための動きであった疑いが非常に強い。
平和を口にしながら暴力行為を働くのを正当化されるような動きに発展したら堪ったものではない。

2020年6月15日月曜日

国民の方を見ていないのか


外出自粛中の昼間は、TVで国会中継を見ることが多かった。
国会質問といえば、さぞかし高尚な議論のやりとりがあるのだと思っていると大違いである。
野党議員はどうしていつも攻撃的な、もっとはっきり言わせて貰えば、喧嘩腰の話しかできないのであろうか?
役人が相手だとでもなれば更に居丈高になり、イジメすら連想させる。
議論してよい結果を出そうと思うなら、どんな組織だって双方が丁寧で穏やかな口調で話し合う。
そうすることで互いの真意を理解しあい、了解点を見つけたり、もっと良い案にたどり着くことができる。
普通の社会であれば「こんな奴の言うことなんか絶対に聞いてやるもんか」と思わせてしまうに十分だと感じさせてしまうような物言いで通用するとしているなら、勘違いも甚だしい。
政権の支持率が下がったという報道はあるが本当だろうか?それなら野党の支持率があがって然るべきだと思うが、逆に彼らの支持率も下がっている。
こんな人たちの政党に政治を委ねたいとは思わない国民の方が多いということではないのか?
国民が納得知るような法案を提示したり、なるほどと納得するような審議姿勢を見せているとはとても思えないことが現実である。
会期終了間近になって、延長すべきだと騒いでいるが、自分たちが何をやってきたのか忘れてしまったとでもいうのか?
審議拒否やら同内容の質問を何度でも繰り返して、時間を空費させていたのではなかったのか。
国民はちゃんと見ているのだと認識した方がよい。