2020年6月21日日曜日

覚悟を据えて生きていた時代とは違うにしても


「是非に及ばず」
生涯を閉じざるを得ない場面を迎えて、このように鮮烈な言葉を出せるかどうかを考えるとき、この年になっても甚だ心許ない。

この一語をむかし読んだとき、小生意気な理屈を捏ね回していた年ごろだったが、それだけで兜を脱いだ記憶がある。良いだ悪いだを言ってもしょうがないなどという気楽なものとは違う。
全てをそのまま受け入れる覚悟がいつもできていないと出てこない言葉である。
命のやり取りを日常的に繰り返す戦国時代の中にあって、普段から自分の死はいつやってくるか判らない日々だったとしても、これは鮮烈な言葉であった、誰もが到達できる境地ではない。

寄せ手が光秀だと知るや、光秀の手配りであれば手落ちがある筈がないと、相手の力量もその実力通り評価して、死を的確に覚悟したということでもある。
自分はそんな心境には未だ至らず、些細なことどもに心定まらず、明日をのみ思い煩うありさまである。
平和な時代というのはお気楽なものであるが、それでよいとして便々と過ごすだけでは気が引ける。
歴史に残る大事を為した人たちというのは凄すぎる。

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