2020年6月11日木曜日

ドラマだから仕方ないが


外出自粛ということで、不本意ながらTVで韓国ドラマ放送を見る羽目になっていた。
ほかに何もやっていないから、否応なく朝鮮ドラマを見ていたのだが、それは世宗大王の王朝物語であり、水車を作るという場面であった。衣装や調度の豪華さは、その時代にそぐわない捏造考証なのは、例の通りのことであるから、とりたてて指摘する気にはならないが、李氏朝鮮には木を曲げる技術がなかったので、車はなかったのだと記憶していたから、それに関してはちょっとネットで探してみた。
有難いことにすぐに見つかった。
·         日本では1400年代の室町時代には水車が登場し、都市部で稼働していた。
·         それを見た朝鮮通信使が、朝鮮に帰国して日本の水車を絶賛する報告をしている。
·         以降、1800年代に至り朝鮮でも水車を作る試みがなされた。
·         しかし、結局自力で水車を作ることができなかった。
·         中国や琉球経由で、水車を輸入して使用していた。
·         韓国の退廃した貴族制度が農耕技術の発達を遅らせた一因である。
水車に関しては、結局のところ当時の韓国では作る事が叶いませんでした。これは、いつの間にか日本の技術力が韓国を凌駕していた例としてネットでも有名になっています。
とはいっても、かつて朝鮮通信使が伝えた儒教を始めとした文化が、日本に多大な影響を与えていたことも事実です。
どちらの国が上なのか、下なのか、ではなく、正しい歴史を認識していくことが大切です。
朝鮮半島の水車の歴史

1429
世宗11123日 日本の水車が凄いと報告
1430
世宗12927日 水車を造ろうとする
1431
世宗13517日 「中国も日本も水車の利を得ているが我が朝鮮にはそれがない」
1431
世宗131118日 日本と中国の水車の研究の記述が散見
1431
世宗131225日 水車導入を試みる
1451
文宗元年1118 20年かけて水車の導入失敗
1488
成宗19624日 水車導入の試み(成否不明)
1502
燕山君834日 水車導入の試み(成否不明)
1546
明宗元年21日 水車導入の試み。琉球(沖縄)と中国から福建式水車輸入
以後百年間水車の記述無し。
一方お隣り日本では、鉄砲伝来後3年目にはすでに量産体制。

1583
日本では、口径80㍉のファルコン砲を量産開始(大友宗麟)

1650
孝宗元年515日 水車導入の試み 30年記述無し。
  一方の日本では、鉄砲量産10万丁

1679
肅宗533日 水車を造らせたと記述。そして70年記述無し
1740 英祖1645日 水車など無くなりました『孝宗大王嘗頒遼瀋水車之制於外方, 今無見存者』

1740
英祖161120日 水車を造らせたと記述(18世紀時点でわざわざ記録に残す程?)
1764 1763-64
年の朝鮮通信使「日東壮遊歌」(淀城の水汲み水車の感想)
  「その仕組みの巧妙さ見習って作りたいくらいだ」と記述

1781
日本では、水車があまりにも増えすぎて治水工事のジャマなので、水車税を導入した。(田    沼意次)
1795 正祖19218日 水車之制について盛んに出てくる。つまりまだ試作中

1811
純祖11330日 の記述で水車なんか必要なのか?と書かれており、全く普及していない

額に汗して働くことを蔑視する社会では、技術など発展するわけがない。李王朝末期まで、農業は日本の平安時代のころの程度でとどまっていたのだという。職人とても同様の扱いであったから、国が発展できるような基盤は育たなかった。

日本も儒教を学んだ国であるが、学問の本質をとらえることに格段の差があった。
江戸時代初期にして既に、山鹿素行は『中朝事実』(ちゅうちょうじじつ)を著し、これが明治維新を進める原動力となっている。

0 件のコメント:

コメントを投稿