2017年4月15日土曜日

隠語ともなったサクラ

桜の花が盛りを過ぎようとしている。風に吹かれてはらはらと舞い散る花びらにも風情がある。
そうはいっても、200以上の種類があるというから、まだまだ次々別のものが咲き続けるだろうし、桜前線ともいわれるように地域によって開花時期が違うから、北の地ではこれからが盛りということになる。
花ではないサクラというのがある。
縁日の露天商の周りなどにに出没する。
偽客(さくら)とは、客の購買意欲を そそるため、客のふりをして品物を褒めたり、さもさも気に入ったように見せかけ、仲間の為に高くても買い求める者のことをそう呼ぶ。
漢字で「偽客」と書くのは当て字で、露天商などの隠語から、明治時代以降に 一般に広まったのだとか。
芝居小屋で景気よく声をかける見物人役がパッと派手にやってパッと消えることをサクラに喩えたことからだという。


2017年4月14日金曜日

核保有国同士だから困る

白髪三千丈と同じで、大げさな表現なのかも知れないが、中国の歴史は桁が違う。

長平の戦い(ちょうへいのたたかい)は、中国戦国時代の紀元前260年に、秦と趙が長平(今の山西省高平市の近く)で激突した戦いであったとされる。
秦の勝利に終わったのであるが、戦後に秦の白起将軍により趙兵の捕虜40万が生き埋めにされたという。余りに残虐で、恨みを残した。
しかし、この人数は誇張されているとも言われているにしても、夥しい人骨は現実に発掘されたとも聞く。
趙の国一国の力が、一気に衰える原因となった。
昔から、残酷さは並みはずれている。日本のことをとやかく言えることではあるまい。

まあこの伝でいえば、南京の30万人というのも、向こうの話としては通りやすいのかも知れないが、人数も残酷さも日本のは事実ではなかろう。

そんな過去のことを論ってみてもどうしようもないが、喫緊の危機というのはありそうに思える。
半島がキナクサイ。
憲法があるから戦争は起こらないと、脳内お花畑満開のようなことを言ってる人がいるが、そんなことを言うのなら国連にも立派な憲章はある。
それで世界に戦争は起こらないか?と言ったら、そんなことは無いこと誰でも知っている。

厄介なことに、それらを破るのはいつも常任理事国でもあるロ・中・米の3大国が絡むことが多い。
北朝鮮が有事ということになれば、間違いなく日本に重大な被害が及ぶ。
話し合いが通用する相手ではない。
中国が絡んで核戦争ということにでもなったら、40万人どころではすまない。
組みしやすしと思われた国が、世界では今も、戦火の中にあるのが現実なのではないのか?

2017年4月13日木曜日

文化と主張はそのまま持ち込めない

古来より日本においては、人はこの世この地に住まわせてもらっているのだという意識が根底に流れているのだと思える。
だから、度重なる天変地異も受け入れ乗り越えてきたのだと感じるのです。
森羅万象すべてに、神性を感じ取ることができていた。

不思議なことに、地震や津波の被害を無傷で免れてきた神社というのが、日本各地には多いのだという。
神様がいらっしゃると考えるか、そういう災害から逃れる知恵を持っていて建てたのかどうかは知らないが、全てが高台にあって津波の被害が及ばなかったのだということではないらしい。

事情や必要があって他所に移り住むことになった人たちが守ったのは、郷に入っては郷に従えということであった。
この諺に類するものは、When in Rome, do as the Romans do.というのがあるが、外国にはこれ以外にあるのだろうか?

ヨーロッパ諸国に移住した難民が、避難先の地域で軋轢を起していると聞く。
難民となった原因が、移住先となった諸国にあるのだから、手厚い庇護をするのは当然の権利だとしているとしたら、善意というのは報われない。
宗教上の問題もありそうである。
互いが信じるのは、唯一絶対万能の善神であると主張しあえば、共存は難しい。
日本のように八百万の神がいて、貧乏神もいれば疫病神も含め全部を受け入れるくらいの度量があれば、違ってくるのかもしれない。
価値観を共有するのは難しい。
それでも、お世話になるときは、まず感謝ということがないと、互いの理解と優しさというのは生まれてこない。


2017年4月12日水曜日

反対とだけ言って騒がれても

将来の為に今何をしなければならないか?ということは、誰でも比較的簡単に思い浮かべることができる。
個人でも会社でも国でも、それは同じである。
個人の場合であれば、自分がやることであるから、自分の責任において自由にきめられる。

しかし、会社の場合であれば、まず企画書を作成しなければならないし、国であれば法を制定しなければならない。
物事は誰もが賛成して、一致協力して目的達成に邁進するということは滅多にない。
新たに取り組むことには不安がともなうし、困難は当然予想される。
やらなければならないことにも優先順位をどう決めるかということもあるし、計画が完全とはなり難いから不備もありうる。

積極的に賛成ではないが、それでも決まればそうするという消極的賛成者を含めれば、反対者より賛成者の方が多いのが普通だが、反対者ほど大声はあげない。それでも、大筋がどうであるかで決心し、踏み出す覚悟を決める。
何かを決めるときというのは、大体がそうなる。

反対する人たちのやることは、大体決まっている。
不安に思うことや不備な点を殊更大きく取り上げて、全体像をぼかす。
安保法案が成立すると、徴兵制になる。
秘密保護法が成立すると、知る権利が奪われ言論の自由がなくなる。そういって大騒ぎした。
そうなっただろうか?
言論なぞ全く自由で言いたい放題だし、むしろ知らせない自由の方が問題視されている。
今度は、ラインもできなくなると言って煽っているらしいが、手法があざと過ぎないか?

誰が何のために反対するかを注意深く見るようにしていると、いろんなことがわかるようになる。

2017年4月11日火曜日

キョンファのヴァイオリンを聴いて

ピアノは好きだから良く聴くが、久しぶりにヴァイオリンコンチェルトを観た。

しかし、たまたま見たそれは、メロディーの裏に表現されなければならない拍は感じ取れないし、音も弱くてオーケストラの中に埋没してしまうようにたよりなく、良さを感じなかった。
もやもやが吹っ切れないので、違う演奏家のものをyoutubeで探してみたら、キョンファの画像が出てきました。
曲目は違ったが、それを聴いてみて圧倒された。

むかし、なぜかキョンファがいいと思ったことはなかったのですが、それは間違いだったと反省しました。
拍を外さないメロディーラインで、見事なまでに音色豊かに歌い上げる演奏は、ソロパートからオケに渡すのも絶妙だから、オーケストラ全体も生き生きして来て、惹きこまれてしまった。
神がかりというかゾーンに入っているというか、言葉もなく魅了されつくしました。

ヴァイオリンコンチェルトというのは滅多に聴くことがなくてきたが、恐るべし。
弾き手が優れていれば、文句なく圧倒されて、身じろぎもできなくなる。

2017年4月10日月曜日

テロ防止策の対案なしに反対だけでは困る

憲法がどうだとか軍事同盟がどうなっているかを抜きにして、ごく普通に考えたとき、一旦戦争に巻き込まれたとしたら、自らが戦うことを避ける国のことを、米国が自国の若い兵士の血を流してまで日本を守ってくれるだろうか?
米国内の世論がそれを支持するなどということは考えにくい。
基本的には、自分のことは自分で守るとするのが、正常な考え方ではないのか?
そのために、戦争にならないための抑止力を持つ。その力もなくて話し合いなどというのは、画餅に等しい。

第二次世界大戦後、戦争を放棄させたこともあって、米国は安保条約で日本を庇護下においたとはいえ、国際情勢は明らかに変わってきている。
今までは戦争に巻き込まれることがなくてきたが、何をするかわからない独裁者が近隣にいるのである。話し合いでと言っている人たちがいるが、どう話し合いをするというのか?
実際にそれをやろうとした姿勢を、残念ながら一度も見たことがない。
防御態勢は、一夜にしてできる筈がないのだから、法整備を初めとして備えをしていかなくてはならないと思うが、どこがどう違うというのだろうか?

仮に、戦争に引き込まれるとしたとき、ミサイルが飛んできたり航空機が飛来して空爆をされることで始まるとは限らない。
前々から広まっている周知の事実として、日本には多数の工作員がすでに潜伏しているという。
彼らが主要目標としているものに先制攻撃をかけたとしたら、現状では防ぎきれないのではないかと思える。
A新聞やM新聞のご都合に合わせて、今までさんざん惑わされてきたのではなかったか。
もうそろそろ、自分の頭で考え、自分で判断するということをした方が良いように思う。
あくまで、普通に考えたときどうなのか?という基準で始めることになるのだとは思うが・・・
テロ法案に反対する人は、テロを容認するとでも言うのか?或いは自分がその法の対象になる恐れを抱いているということなのか?
それとも、反対するからには、それを防ぐ手立てを提案できるとでも言うのだろうか?
テロは未然に防がなくてはなるまい。かなり難しいことに違いない。

2017年4月9日日曜日

藪をつついたら蛇が出てきたということなのか?

結局のところ何だったのだろう?
森友学園問題は、証人喚問しても、違法な政治介入があったことは証明できず、仮令寄付行為があったとしても違法でも何でもないことを追求することに時間を費やし、挙句の果てには忖度があったのではないか?ということで辻褄合わせをしただけのようにみえる。
忖度することが特段違法であるとも思えない。
隣接する野田中央公園の土地の売買や、生コンの名前が出てきた途端、マスコミを含めトーンダウンしてしまったように思える。森友よりこちらの方がより知りたい。

豊洲の移転問題に関しては、100条委員会まで開いて土地購入の経緯を明らかにしようと試みたが、問題はそこではあるまい。ここでの筋書きを作ったような質問で悪者でも出てくる結果が得られれば、それを叩こうということだったのだろうけれど、どうやら思惑は外れてしまったように見える。

双方とも、国民の利益或いは都民の利益というよりは、政局あるいは党利党略に利用しようとしたのではないのかという疑念さえ起こる。K党と組んでことを起すと、いつもこうなる。

国難ともいえる大問題が起こりそうなとき、何をファーストにしなければならないかということから反れたことをやっていては、信頼を得られまい。
違法性を管轄するのであれば、それは分立している司法に任せたほうが良い。