2017年4月21日金曜日

置き菓子は一つのアイデアだったと思うが

越中富山の万金丹というのがあった。
「どっけしゃいらんかね~(毒消しはいらないかね~)。」
むかし、時代劇映画を見ていると、人でにぎわう街中を、掛け声をかけながら薬を売り歩いている人が出てきたものである。

子供の頃には、どこの家にも置き薬というのがあった。
古くは大きな紙袋の中に、それがだんだん木の箱に変わっていったが、丸薬だの粉薬がいろいろ入っていて、常備薬として置かれていた。
富山の薬屋さんが家々を回って、使った分だけ新しい薬を補充し、代金を受け取るというシステムであった。
紙風船などを景品にくれるので、子供心に薬屋さんが訪ねてくるのは楽しみでした。

その置き薬っていうのなら驚きはしない。
しかし、置き菓子だっていうから驚いた。
飛び込みの営業マンがやってきた。1ヶ月でいいから試しに置いてみて欲しいとのこと。
底辺がA4版くらいの箱の中に菓子が入っていて、1個どれでも100円。
食べたい人が傍に置いた貯金箱みたいな料金箱に自己申告でコインをいれて取り出すという方式で、定期的に補充にくるという。
お札しかなくて、後で払おうと思っていて入れ忘れるケースは時にあるが、多少金額が不足していても、置いてもらえる会社に不足はいわないのでぜひ、とのことであった。
小腹がすいたとき、わざわざコンビニに行かなくてすむのなら便利だし、たいして場所をとるわけでもないので、置くことにしたのだが、「いろいろかんがえるもんだね。」と感心した。
しばらくは定期的にお菓子の入れ替えに来ていたのだが、いつの間にやらそれも来なくなってしまった。
営業的にうまく行かなかったのだろうか?


2017年4月20日木曜日

次の大統領だってどうなるのやら

大統領選挙の前に、朴槿恵氏が訴追されるのだという。
罪状というのが何なのか、証拠があるのかどうか知らないが、韓国の歴代大統領の末路はあわれである。
どうにも馴染めないが、隣国では至極当たり前のようで、どちらかと言えば国民が煽っているようにも見える。
クーデター・亡命・暗殺・投獄・死刑・自殺、それでも大統領になりたいらしい。

儒教の教えが根深く残っているのか、易姓革命にも似て、前政権は根絶やしにして全て否定せずにはおかない国なのだと思えてならない。
全否定しなければ、政権の正統性を主張できないということだとすれば、継承して積み重ねることで発展させられることも失う結果にならないのではないのか。

ご自慢の李成桂による李王朝の樹立だって、前王朝への反逆だったのだから、反対勢力への粛清は酷かったように思う。
そんなにしてでも、中国の属国としてしか生きられず、日本が日清戦争で勝利してようやく独立を得られたのに、長くは続かなかった。
疲弊した朝鮮を近代化に導いたのは紛れもなく日本であるが、戦後できた韓国は、前政権である日本を全否定しなくては、政権の正統性を主張できないほど脆弱であった。
日本の統治時代が良かったなどと口にすれば生きていかれなかった。

どうしていつまでも日本のことを悪く言い続けるのだろうと疑問に思っていたが、易姓革命を未だに繰り返すのだと考えれば、合点がいく。

しかし、北の脅威に韓国一国では抗しきれない現実があるとき、日本を敵に回すようなことばかりしていてどうするのか?
先のことを考えなくて過去にとらわれているのが国民感情に馴染むなのだとしたら、せめて真実がどうであったのかくらいは、自ら知るべきだと思うが・・・

2017年4月19日水曜日

日本スタンダードになれば

なにか偉大なもの
 神様は、乗り越えられないような困難をお与えにはならないのだとか。
 何事も、なんとかなるのであります。

 「お上が、ご苦痛であると思し召すほうを、この際はお選びになるべきであります。」と書かれた文書を読んで連想したのが、「その方等はよいのう。朕には辞職がない。」とおおせられた明治天皇のおことばでした。

 「みんながそうしているから」というのが、関連のいくつかの要因だという人がいるが、そうなのだろうか?

そもそも農耕民族は、種まきの時季にしろ何にしろ、経験豊富な長老を始めとする皆と合わせることが上手くいくというあたりが、狩猟民族と違うところであります。

確かに家畜を追って草を求めるには、人と同じ事をしていたのでは、既に食い荒らされた場所を辿るに等しいから、豊な草葉を見つけるのには、経験のある長老でなくても若い閃きのあるリーダーに従うことが多かったろう。
だから、過去の経験に従うだけでなく主張しあうということに馴染みはあったと思われる。

 農耕民族である日本人は、自分の意見がないといわれるが、ないのではなくて、それぞれの信念、哲学、矜持を内に秘めながらなお、皆がよかれと言わず語らず理解しあい選んでいく智恵を、2700年の歴史のなかに育んだのである。

 自己の権利主張を声高に叫びはしても義務をないがしろにして憚らず、はては自国をも自虐的に貶めるような論調を不思議とも思わず、我さえよければ他を省みなくても良いとなってしまった結果が、昨今随所にみかける破廉恥きわまりない所業となって現れているのではないだろうか。

 いつからのことなのかと嘆かわしく、何でもかんでも古くからのものを否定してしまったことで、失われた美徳の数多かったことが思われてならないのであります。

 愛国心は強制されるべきでないとの主張はその通りだろうけれど、国を愛さなくてもよいと教えるのもまた極めておかしなことであろう。
 外国を旅して思うのだが、彼等は、自分または店、或いは会社のミスに対し、「それ、自分の担当じゃない。」「知らない。」「関係ない。」と言うのが大半であり、最高によい状態と思われる謝りかたでもせいぜいが「それは貴方にとって大変不幸なことでした。」という何がなんだかわけのわからないコメントがあってお終いである。
それ以上のことは賠償に繋がるから頑として認めない。

 ソレに比べ、日本がいかによい国であることか!
グローバルスタンダードより日本スタンダードのほうがいい。

そうはいっても、最近の国会質疑を見ていると、国民目線というより犯罪を起こしかねない人の目線から、こまかなことをあげつらって全体を反対しようとしているように見える。

日本の国も、大分変ってしまったようです。


2017年4月18日火曜日

中国が何とかできるのだろうか?

北朝鮮の暴発を防ぐには、中国の影響力を行使することが不可欠であると良く言われる。
もっと単純に考えれば、中国が北朝鮮を支配してしまえばいいではないか、ということになるが、中国は決してそれをしない。
理由としていわれるのが、二つある。
体制の違う西側諸国と国境を接するのは避けたいので、緩衝地帯として残しておきたい。
難民(極端に貧しくて、それも半端ではない恨みの心が染み付いている)が大量に出ることを嫌っている。

しかし、2000年の昔から、陸続きであるのに、朝鮮半島を直接支配することはしてこなかった。風水上良くないのだとしたからだという説もある。

ではどうしていたかというと、中国の言うことを聞いて絶対に反抗しない王を据えて、それを支配することで徹底的に搾取した。反抗することは殆ど不可能だった。
だから未だに中国の言うことなら諾々として従う気風が残る。酷い目にあったことは、日本からどころではあるまい。

ところが、北朝鮮の3代目は言うことを聞かなくなった。
手を拱いている間に、手が付けられなくなった。
国際的に高まる経済制裁実施の圧力に押され、このほど中国でも北朝鮮からの石炭輸入をとりやめたのだという。
石炭の輸入をやめるより、石油の輸出をやめる方が効果的だと思うが、それはしない。
国対国のことであるから、全て明らかにできないという折衝や取り決めは当然あるだろう。
その対策をとることで国益に悪影響を及ぼすことがあれば、バランスも必要だということは解るが、効果的な対策をしていないように見えてしまうのも事実でしょう。

北朝鮮からの石炭の輸入を止めたというが、中国の基幹産業である鉄鋼の生産には、石炭が不可欠である。
むかし中国は、露天掘りができる瀝青炭がとれることで有名であったが、今はどうなのだろう。
それがないとなれば、どこかから輸入しなくてはなるまい。それはどこからになるのか?

一方、石炭を燃料とすることで発生するPM2.5は、中国国内で年間2000万人の死者を出していると言われるほど被害が甚大である。
PM2.5は、韓国のソウルにも影響を及ぼしていると聞くし、日本にも飛来する。
放射能の影響よりよっぽど重大だと思うが、それを問題視する報道はまず少ない。

厄介な国と厄介な問題が隣国にあるという認識が日本国内では低いから、大所高所から総合的に物を考えることが少ないように思える。

2017年4月17日月曜日

修行しないと人になれない人

「猫を被る」という言葉があります。
知っていながら知らない振りをする。
そこから転じて、本性を隠して大人しそうに振る舞う。
そもそもの語源は、藁(わら)で編んだ「ねこだ(筵のこと)」を被ることで知っているのに知らない振りをする意味で使われ、後に「猫」の字を当てたといわれる。
いずれにしても、本性を隠しているとの悪い意味で使われることが多い。

しかし、一枚二枚は猫の皮を被った方が、世の中うまくいくように思える。
本性剥き出しでギラギラしたやりとりをしたら、殺伐としたものになる。
少なくとも、人間の皮を被った獣より猫を被っているほうがず~っと良い。
ただ、被った以上はそれを脱がないようにしていてもらいたい。
本性を誤魔化すためではなく、人倫として必要な衣を纏うのだと考えれば、その皮は教養として必要なことも多々あるのではないだろうか?
被っている猫の皮を全部脱がなければ、人として理性的でいることはできるだろうと思う。
徳育を育むことは大切だし、形から入ってより人間らしくなることだって可能に思える。
精神上の話をすると、すぐに右翼だとか、更にそれを強く主張すれば極右だということにされてしまうが、果たしてそれでいいのか?
教育問題ということになると、出てきて声高に論じる人たちがいる。強制するなというが、最低限の道徳を守れるようにするのは必要に思える。
声高の彼らは、リベラルを標榜していても左翼か極左だとしか思えない時すらある。左翼の言動が咎められることは滅多にないように感じもする。中道は、今では右翼だと言われる。

権利主張を教える前に、人として守らねばならないことは何なのかということに、そろそろ真剣に向き合うべきなのではなかろうか。
千葉に、人とは思えない所業をして逮捕されたというニュースを聞いて思ったことです。
修行しないと人になれない人というのが居るのかも知れません。

2017年4月16日日曜日

油を撒かれるくらいでは済まなくなるのでは?

「〇〇政治を許さない」口を開くと、そう公言する議員というのが居る。
国民が言うのなら、国民主権だから解からなくはないが、議員が上から目線で偉そうにいうのはどうも馴染めない。
他の言い方っていうのがないのだろうか?

議員であるなら、国会の場でもっと優れた法案を提案するなり、どこがどういけないのか国民が納得できる意見を述べるなりするべきだと思うが、ただやみくも反対だとか、重箱の隅をつつくようなことしか言わないし、言ってる本人にブーメランとして返ってきてしまうようでは、何とも情けない。
本気で日本国民の為になるように働いているというより、他国の代弁者のようなことにばっかり力を注いでいるように思えてしまうことが多い。
そんなことだから、支持率なんか上がるわけがない。ましてや禁じ手ともいえるK党と共闘するなどというのでは、何を目指したいのか全くわからない。

朝鮮半島が危険性を増し、国民の生命財産を守ることを第一義にしなくてはならないのに、テロ防止法案を共謀罪だとのレッテル貼りをして、この緊急時に街頭演説に精を出しているのだとか。
有事に備えることより大事なことだとでもいうのだろうか。

テロに優しい所にテロが起こるのは国際常識となっている。
共謀罪が成立すると不都合なことでもあるのだろうか?
犯罪を共謀するなどということは、一般人には縁遠いことだと思うが・・・

スパイは沢山潜入していると聞くと、何か起こってからでなくては対応できない法のままで良いとは思えない。
神社に油を撒くテロなぞなら簡単に入出国できてしまうのだから、これがいつ毒ガスや爆発物になっても不思議ではないくらい危ういのである。

2017年4月15日土曜日

今でも放映されているというアニメ「アルプスの少女」

寝そびれたときなどに、TVで深夜放送を見ると、アニメの劇画映画を流していることがある。
映像が素晴らしくて感動してしまう。

十数年前、倅がザルツブルグに留学していた頃、友人となったハプスブルグ家の後裔である侯爵家のお宅に招かれたとき一緒にテレビを見ていたのだという。
アニメで「アルプスの少女ハイジ」が放映されていて「どうだ、オーストリアは凄いだろう。」と自慢されたので、「ちょっと待ってよ、この動画は日本で作られたものだよ。」と答えたのだという。
描写されている風景や道具や仕草、言葉もドイツ語に吹き替えされていることもあって、彼はオーストリアで作られたのだと言い張って譲らなかった。
そこで、番組が終わったときのクレジットで確認しようということになった。

時代は移り、その彼の子供世代になったが、いまでも再放送されているのだという。
そこで、それら子供たちに「これはどこで作られた動画だと思う?」と質問すると、今の子供たちは即座に「日本だよ。こういうものは、日本以外ではつくれないよ。」と答えるという。