「我が身にかえても」という気持ちをもつ人が少ないご時世と成り果てては、情愛があらわれることが段々になくなっていってしまうのでは・・・。
自分の都合が、もっと極端にいえば自分勝手な感情が何にも増して優先し、またそれを個性として助長しているような風潮では、相手を思いやるなんてことから程遠いと思われてなりません。
うわっつらの、言葉での"やさしさ"なんていうのを声高に言い募るばかりで、身をもって教え導く大人が少なくなってしまったのはなぜなんだろう。
幼い子供の言動に、優しさをみることが多いのに、どこでそれが失せてしまうのだろう。
お祖父ちゃんが、変なご飯の食べ方をしていた孫に食べ方のお作法を教えたら、「余計なことをしないで下さい。」と母親から文句を言われたんだと。
そうです。ご飯のお茶碗は左で、お吸い物のお椀は右なのです。
それはどちらにあっても大した違いじゃないじゃないか、なんてことで見過ごしてはならないことなのです。
そういう小さなことが、社会に出たときにお互いの関係を滑らかにするルールなのだと思います。
きのうの夕暮れ時、補助輪のついた自転車にのった女の子を、母親が感情的に口汚く叱責しながら一緒に歩いておりました。
何を怒っていたかというと、少し先の交差点を渡る都合上、道の右側を進めと母親が言うのに、女の子が交通法規を守って左側を行こうとするのが気に入らなかったらしいのです。効率だけを考えれば、母親の言う通りかも知れません。
よっぽど注意してやろうかと思ったけれど、後で女の子に八つ当たりするに決まっていそうだったのでやめておきました。
それにしても、「なんという」寒さの到来でしょう。
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