源平の戦いが終わって、落人伝説ができたといいます。
そこがそうなのかどうか調べたことはありませんが、山登りで各地を歩くと、人里を離れていて「よくこんな厳しいところに人が住んでいるね。」と思うような場所を目にすることがあります。
冬景色となれば、更にそうです。蕎麦畑の跡は、切株も寒々しい。
"平家の"と頭につくことが多いのだけれど、どうしてなのでしょうね。
それ以前にだって国譲りをしたということに神話ではなってはいるが、それは天津神と国津神の戦いがあったのだと考えるのが普通だし、事実、国津神のタケミナカタノミコト(諏訪大社の祭神)は天津神のタケミカズチノミコト(鹿島神宮の祭神)との戦いに敗れて出雲から諏訪まで落ち延びたということになっているから、その頃から「何々の隠れ里」という名がついたものができていても不思議ないはずなのに・・・
まあ、厳しい土地ということが前振りなんだけど、ソバというのは昼と夜の温度差が大きくないと結実しないと言われています。
すなわち気象上も厳しい土地で作られたということになる。
平氏と較べれば、優雅といってもよいかも知れないのが今川氏。
織田との桶狭間の合戦に破れたあとのことは余り知られていませんが、家が絶えてしまったというわけではありません。
私の住んでいる近くに、今川という地名があります。4丁目まであるくらいの広い地域です。
今川氏の裔は徳川家に仕え、このあたりに住んでいたのだとか。
このあたりは肥沃の地ですから、蕎麦などつくらなくても作物は何でもできたんじゃないでしょうか。
表通りは家が並んでいますが、ちょっと入ると畑がまだ沢山残っていて、美味しそうな野菜が作られています。
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