2014年11月9日日曜日

日本の古文書でも殆ど読めてしまうのは


日本人は、古来からあった和語というものに、外来語であった漢字を、表意文字としての部分に音と訓を使いこなすことで見事に取り入れてしまった。

 

以来、外国語がはいってきたとき新造語を作ってでも、意味を殆ど変えることなく訳してしまうことができる。

もし、訳すことができなければ、外国の文化を理解するためには、まず外国語を学ばねばならないということになる。

一般人は、外国語が解らなくても、完訳されていることで論文でも文学でも読むことができるのが、外国語が不得手のままでいる理由かもしれません。

 

文字が崩れていないから、ちょっと勉強することで古代史でも古文書でも読めるから、ご先祖様が神様から始まっていることは、教わらなくても知っています。

熊が先祖だったとしたら、歴史書など読まれては不都合だから、文字を変えて人目を遠ざけるようなことをしたかも知れません。

 

記紀万葉に限らず、古文書というのは沢山あるから、興味を持った人たちが研究していて、ときどきそれらを目にすると、たいそう面白い。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿