2015年11月30日月曜日

潜在意識は変化を好まないというから

何事をも可能にするという自分の内なる神「潜在意識」は、変化を好まないというが、
「潜在意識」は、怠けさせないで目いっぱい働かせるように仕向けなければならない。

そうしないと、もっともらしい「やらせないようにする」理由づけをして、心と体を現状から良い方向に向けることをしない。

潜在意識を働かせるというのは、いうなれば心の働きだから、実際に自分が何か体を動かして働くということとは違う。
望む結果を、そこに良く言い聞かせるということです。

2015年11月29日日曜日

読み分けて欲しい「陰陽師」と「陰陽寺」

放送を聞いていて気になる。
「陰陽師」というのを「陰陽寺」と聞こえる読み方は、天下の公共放送NHKであれば避けてほしい。
陰陽師は、鑑定士とか美容師とか整体師とかの読み方と同じイントネーションだと思うのだが・・・

他にも、「手を突く」というのを「手を着く」という読み方。
「を」と言ったら、突くか「撞く」か「漬く」かなどであり、「に」といったら「着く」や「付く」や「憑く」などであろう。

フィギュアスケートの番組を見ていて気になりました。

2015年11月28日土曜日

三杯汁で国を滅ぼす

「馬鹿の三杯汁」という言葉があります。
汁のお代わりを3杯もするのは作法を知らないばか 者であるということの意味に使われるようですが・・・

戦国時代、どこであったか思い出せないが、三代目の殿様が食事をしたとき、ご飯が余ったからと汁のお代わりをし、今度は汁が余ったからといってご飯のお代わりをし、さらにご飯が余ったからと汁のお代わりをした。
これを見ていた家老が、「自分の食べる食事の加減さえ判断できないのでは、この代で滅びるか。」と嘆いた、というのを読んだことがあります。

これとは全く違うが、トリプルおバカというのがいる。
無灯火の自転車に乗りながら、スマホ。
こりゃあ自らを滅ぼしかねない。

2015年11月27日金曜日

紅茶に纏わる話し

紅茶は味も好きだし、飲むときの色も楽しい。

その日その時の気分で、日本茶・ウーロン(中国)茶・コーヒー・紅茶を美味しいと思いながら有難く飲む。

無粋な話しだが、紅茶を飲むと時にに思うのが、簡単に言えばアヘン戦争は紅茶が原因だったということ。
イギリスは、茶・陶磁器・絹を大量に清から輸入していた。
イギリスは産業革命による資本蓄積やアメリカ独立戦争の戦費確保のため、銀の国外流出を抑制する政策をとった。
そのためイギリスは植民地のインドで栽培したアヘンを清に密輸出する事で超過分を相殺し、三角貿易を整えることとなった。
極めて身勝手で滅茶苦茶な理屈である。
(アメリカが紅茶を飲まないのも、これらに関連するが、別の話としたい。)
清では、既にアヘンの輸入を禁止していた。
禁止令は19世紀に入ってからも何度となく発せられたが、イギリスからのアヘンの密輸入は止まず、清国内にアヘン吸引の悪弊が広まっていき、健康を害する者が多くなって風紀も退廃していった。
これに堪りかねて起こったのが、アヘン戦争である。
ところが清国は、コロッとイギリスにやられて、結果として香港をとられた。
こんな理不尽な戦争だったにも拘わらず、中国はイギリスに謝れとはいわないし、イギリスも謝ることはしない。

そもそも、戦争したことを謝る国は、寡聞にして日本以外にあるのかを知らない。
そんなことはない。ドイツは謝ったという人がいるが、ドイツはナチスのホロコーストという非人道的行為を謝ったのであって、戦争そのものを謝ったのではない。

戦争がいいとは言わないが、戦争とはそうした一面がある国際紛争解決の手段であるというのが国際認識なのであることも知っていなくてはならない。
負ければ、文句も言えず後々まで、勝った側に都合のよい歴史すら押し付けられる。


2015年11月26日木曜日

紅葉狩りに行けなかったので

毎年、紅葉狩りを兼ねて山に登るのですが、今年は何かと都合がつかず行かれませんでした。
紅葉は、タイミングが合わないと、ドンピシャリな綺麗な風景を楽しむのが難しい。
気候が影響するから、都内の銀杏も例年のように真っ黄色にはならなかったようです。

何年か前に草津に行った時の紅葉写真が纏まって出てきましたので、youtubeにしてみました。


2015年11月25日水曜日

「ご苦労様です」でも十分丁寧な挨拶だと思うが?

「ご苦労様」と言われたことに激高し、暴行を働いたとして逮捕された男がいるとのニュースがありました。目上?に対しての言葉づかいではない、ということらしい。
目上に対しては「お疲れ様」というのだというが、この言葉づかいだってかなり変です。

何時の頃からか、多分、社内マナーの研修とかいうのが流行った頃、どこかの講師が言い始めてからなのだと思うが・・・

子供の頃、講談本をよく読んだ。
武士の挨拶で「ご出役ご苦労様にござる。」というのがよく出てきた。
上下関係の厳しい侍が、失礼な物言いをする筈がない。
殿様が家来に対して言うのは「大儀(たいぎ)」であり、上司が部下に言うのは「ご苦労!」
であった。

してみれば、目下に対しては「ご苦労」「ご苦労さん」「お疲れ」「お疲れさん」であり、目上に対しては「様」をつけて、「ご苦労様です」「お疲れ様です」というのが、意味も通じ解り易いと思う。

「お疲れさま」っていうのも考えてみれば、意味が不明なのでは?

2015年11月24日火曜日

「体」は「空だ」と考えられたら

「病は気から」と昔からよくいわれます。
気力が充実していれば、病は発病しないということであります。
誰にでも言えることでしょうが、口に出さないだけのことで、体のどこにも痛い所や具合の悪い所が全くないということはまずありません。常時絶好調などということは殆どない。

極端なことをいいますが、本当は病気ではないのに、病気が好きな人というのがいます。いつも具合が悪い具合が悪いと口に出す。
こういう人は健康にはなれない選択をしているということなのでしょう。
いつもいつも、あそこが悪いここが悪いと周りに言い触らしていると、本人が知らないだけで顰蹙を買っているということでもあります。

本当に具合が悪ければ、言われなくても医者にかかるし入院もします。自分でも健康を取り戻そうとするからです。

断っておきますが、不幸にして重篤な病に罹っている人のことではありません。

大抵の人は、「俺は健康に留意して栄養も摂っているし、適度の運動もしているし、病気になんてなる筈がない。」と自分に言い聞かせているから、寝込むまでには至らないで過ごせている。

脳というものは、ある意味で怠ける理由づけをすることがあります。
具合が悪いということになれば、自分も他人も無理を強いることはないし、気づかってもくれるから甘えが出がちですが、自分の意識が病を呼び込んでいることもあり得るから、「気から」ということなのかも知れません。
無理しすぎて本当に病気になるということを無視するわけではありませんが、気持というものが体に与える影響は大きい。

「体」は「空だ」というふうに考えたら、本来は軽やかな筈だと思えるのです。

2015年11月23日月曜日

枯草の茎にできる霜の花

霜の花」とは,枯れた草の茎に形成される霜柱で,霜柱自体の形態が花のようになったものです。
高尾山に「ダイヤモンド富士」を見に行った時に、山頂付近で撮影したものです。
寒さを我慢しながら、富士山に沈む夕陽を眺め、トップリ日暮れて暗くなった山道を下り、麓で自然薯の入った蕎麦を食べて帰るのも、楽しいものです。

https://youtu.be/Q8B4oFJ7AKs


2015年11月22日日曜日

頑張る」より「顔晴る」方が良い

「楽」という同じ漢字を使うのだけれど、生きて行く上で、読み方と使い方が違うと、その後の結果が大きく違ってくる。

何事かを選択しなければならないとき、「楽」な方を選ぶか「楽しい」方を選ぶかという意味で言っています。

「楽」な方を選ぶと、結果があまり良いとは言えないようです。
「楽しい」方を選ぶと、発展的に先が開けていくようです。
「頑張る」というより「顔晴る」というように、顔が晴れやかになれる選択の方が良いに決まっています。

2015年11月21日土曜日

本人が本人だと証明するのは煩わしい

銀行に行っても役所に行っても、窓口で「ご本人様ですか?」と必ず聞かれる。
銀行で自分が自分のお金を払い戻すのにも、役所で書類の交付を受けるのにも、面倒なことです。

本人が本人であることを証明するのは難しい。
免許証がよく使われるけれど、それが偽造されたものではないという保証はない。

日本では昔からサインではなく、印鑑をもって本人と推定した。(実印なら尚更である)
本人が都合で行かれなくても、印鑑を持っていけば仕事を任せられたから、何かと便利であった。

どんな手口で他人に成りすまし、悪事を働く輩がいるのかわからないが、防衛上とはいえ不便なことこの上ない。
悪いことに知恵が働く人が増えたのかも知れないが、信用できない世の中というのは世知辛い。

気分直しに、紅葉の写真でもご覧ください。
紅葉は黄色も良いが、鮮やかな赤に染まった木は特に美しく感じます。https://youtu.be/o78zeO_p0n0


2015年11月20日金曜日

キノコ好きでも

キノコは美味しい。山から採ってきたものは特に美味しい。
シメジ・マイタケ・ヒラタケ・・・

でも、中には怖いのがあります。


ご存知、毒茸のツキヨタケ。ヒラタケに似ているから怖い。


2015年11月19日木曜日

最初に一つ見つければエーデルワイスは沢山咲いている

アルプスの三大名花であるエーデルワイスの花を見に行くツアーというのが夏によくありますが、殆どの人はそれを見られないで帰ってきます。
私は、花の時季に行けば必ずみることができています。
南斜面を探せばあるのだけれど、最初の一つを見つけるのがコツです。
山ほど沢山あるエーデルワイスの写真を、ランダムに30枚選んでみました。
ホームページにアップするのは大変なので、画像のみのユーチューブにしてみました。


2015年11月18日水曜日

周囲に配慮できないのは

歩きスマホに罰金を科せという声があるのだという。

歩きスマホが危険なのが解らない人というのは、頭がお花畑の人か、極端に自分勝手な人か、まだ人には成りきれていない段階の人なのかと思ってしまいます。
最近ようやく電車内で通話するのを聞かなくなりましたが、マナーが徹底されるまでには時間がかかるのかも知れません。

自分だけは歩きながら、或いは自転車に乗りながらスマホをやっても大丈夫と根拠もなしに信じ込んでいるらしいけれど、ウマシカは自分が痛い目にあうまで解らないのかも知れません。
しかし巻き添えを食う人は堪らない。

幼児を連れながらのそれは、犯罪行為に等しいのではないかとさえ思ってしまいます。
我が身にかえてもと注意を払うのが親なのではないのか?
自分がやりたいことを優先していれば、子に思いやりの心など育たない。
愛されて育たない子が将来どんな育ち方をするかと思うと暗澹たる気にさせられる。
弱肉強食の世界はこのようにして生まれる。

そんなくらいだから、子が親を手伝わないのは当たり前の世の中になってしまったようです。
昔はどこの家にも家業というのがあって、言われなくても自分ができることを子供といえど手伝ったものでした。
勿論言いつけられることもありましたが、仕事を分担しあうのに疑問など差し挟まなかった。
近頃、時間や労力を皆のために提供することは損なこととでも思っているのだろうか?

自分の都合ばかり優先させていて、得られるものは何であり、果たしてそれは人にとって価値のあるものなのだろうか?

住いの近くの細い道をジョギングしている人が何人もいます。
彼らに共通しているのは、すれ違うとき歩行者を邪魔者だとでも思っているらしい顔つきをすることです。

人が人らしく育つのは難しい。


2015年11月17日火曜日

こう来ないとなると心配になる猫

前にも書いた、毎日欠かさず交互にやって来る2匹の猫についてであるが、チャトラの方がこの3日間やってこない。
どこかで飼われているのなら良いのだが、普段見ていて感じるところからみて、性格が良いとも思えないから、そんな機会はなさそうに思える。

来れば来るで、他生は面倒に思う猫ではあったが、来なければ来ないで心配になる。
無事であってくれれば良いのだが、世の中には怖い人もいるから・・・


2015年11月16日月曜日

葉の色が黄色に変わるのも紅葉(コウヨウ)?

金色の ちさき鳥のかたちして いちょう散るなり 夕日の丘に

紅葉が美しい公孫樹(イチョウ)ではありますが、黄色い葉に変わるのも紅葉というのでしょうか?実をたわわにつけています。



先週末、小雨の石神井公園に散歩にでかけました。
少し前の激しい雨に打たれたせいか、銀杏(ギンナン)の黄色い実が地面に沢山おちていました。

普段は、早起きのお爺さんお婆さんが拾いつくしてしまうので、目にすることがありません。
折角だから拾い集めたところ、100個ほどがすぐに偶々持っていたコブクロにたまりました。
持ち帰って容器に移し、水に浸しておいたものの皮を今日剥いたのですが、手がヌルヌルするし、その臭いたるや大変で、石鹸で何度も手を洗いました。

スーパーで買えば100円200円くらいなものなのでしょうが、自分で手を掛けた物は、また格別おいしいのではなかろうかと思っているところです。
ギンナンは、昔からおねしょの薬とも言われるように、体を温めます。


2015年11月15日日曜日

前の時代の方が良かったと言われたら困る

国体を長く護持するのは難しい。
王朝が次々に変わった歴史を持つ国というのがある。

易姓革命(えきせいかくめい)とは、古代中国において、孟子らの儒教に基づく五行思想 などから王朝の交代を説明した理論です。
簡略していうなら、 天は己に成り代わって王朝に地上を 治めさせるが、徳を失った王朝に対し天が見切りをつけたとき、革命(天命を革める)が起こって現政権を根絶やしにし新たな王朝ができるということ。

即ち、人民に対して新たな政権の正統性を主張するのに理由づけとして必要なことであった。
建国のための理由としては、「徳を失った王(政権)を廃して」とか、「戦争に勝利して外敵を駆逐するのに中心的役割を果たした」とか、「選挙により国民の絶対的支持を受けて独立した」とかが必要である。

そのいずれもに脆弱な基盤しか持てないと、国民の不平不満や政権の正統性への疑義の目を逸らすために、外に敵を作らざるを得ない。
「前の時代の方が良かった」と言われると困ったことになるから、そのような意見をいう人を徹底的に粛清するし、自分たちに都合の良い教育を、国民に施すことになる。

なりふり構わず歴史も自国向けに解釈したり改竄したりするし、言論も弾圧して建国時以来の都合を信じ込ませるように仕向ける。

歴史資料は世界中に山ほどあるし、自由に調べたり研究したり、ものを言ったりすることができる国であれば、時間の経過とともに真実の事実関係を良くも悪くも知るに至り、公平な判断をすることができるようになるが、そうでない国は将来に禍根を残すおそれを内在してしまう。

時代を経るにつれ、教育や宣伝により感情に刷り込まれてしまったことは、ある日真実を知ったとき、自己崩壊を起こしかねないからです。

2015年11月14日土曜日

趣味で白菜を鉢植えにして育てています

趣味の園芸ということなのですが、大き目の鉢で白菜を育てているところです。
段々に大きくなっていっているのは確かなのですが、毎日見ているともどかしくも思えます。

お正月頃には、食べることができそうですが、無農薬栽培ですから、どんな味になるかと今から楽しみです。


2015年11月13日金曜日

アンバランスになっている左右の脳を整える

ネットで見つけた記事です。
最近の一般人は左脳を酷使することが多いため、脳の左右のバランスがとれなくなり、偏頭痛や片方だけの視力低下などを招いている場合があるのだといわれます。
左右の脳のアンバランスを解消するのには、136.1Hzの音を聴くと良いといわれ、この音を全身に染みわたらせることで癒されるということです。
同じ音なのに、どちらかの耳が少し小さく聞こえたりしませんか?
まず、小さく聞こえるほうだけにヘッドフォンをつけて、ボリュームを少しずつあげていって下さい。徐々にボリュームをあげていきますが、もう、これ以上はうるさい、というところまであげたらそのまま3分間程度音を聞いてください。
すると不思議なことにつまっていた鼻がとおったり、見えてないほうの目がはっきり見えるようになったりします。聴覚の刺激で脳が目覚めるのです。
実際、これで偏頭痛が治った例がかなりあるらしいのです。

音源はyoutubeにアップして見ました。3分15秒版です。
https://youtu.be/aKsP7CfZxF0

2015年11月12日木曜日

条約で決まっていることを蒸し返されても

日韓の外務省局長級協議が始まったのだという。
またまた終わった筈の慰安婦問題を持ち出すのだろうか?

「韓国メディアがベトナム戦争における韓国軍の蛮行を記事にした際、まだ一議員だった頃の朴槿恵氏は『国軍の名誉を傷つける気か!』と、逆ギレした過去がある。
ライダイハン事件は紛れもない史実であり、証拠というのは確実に現存する大戦争犯罪であり、世界各国の知るところであるが、彼の国の国内では蓋をされているらしい。
これについては、当然のことながら謝罪も賠償もしていない。

一方、慰安婦問題は、A新聞の捏造であったことが明らかになっており、その後の河野談話の経緯も明白になってきている。
慰安婦がいなかったとは言っていないが、強制性はなかったということがいろんな資料からわかってきているのが事実である。
米国が膨大な費用をかけて作成した資料からも、そのあたりは明白なのではなかろうか?

「証拠は生き証人である自分だ」という旧慰安婦の証言も、年齢やらジープで移動したやらクリスマスパーティーをしたやら、接客人数を数えたら寝る時間もなかったであろうと判ってしまう証言であり、言うたびに二転三転する証言の信憑性も疑わしくて、いまいち説得力に欠ける。
高級将校より高額の収入をえていて、休日もあり、止める自由もあったという彼女らのどこが性奴隷だというのだろうか?

20万人も強制連行されたというのも、俄かには信じがたい。
日韓併合により適用されていたのは日本国の法律であった。
現代の報道でも明らかなように、彼らの言動は劇場的であり、国民性というのは時代によってそうそう変わるものではない。
強制連行されるのを、指を咥えて見ていた腰抜け揃いであった筈はなかろう。
大騒ぎになったという事案は、一件もみたことも聞いたこともない。

慰安婦問題の解決に「誠意をみせろ」というが、わが国では「誠意をみせろ」というのはヤーさん位しか使わない。
1945815日以前に生じたいかなる請求権も主張もすることができないものとする。」
これは条約で決まっていたことですよね??
ゴールポストが動くと表現されるが、条約その他で解決済の案件を蒸し返すのでは、健全なる法治国家とはいえまい。
しかも国民が納得する形でと要求されても、そんなことは不可能であろう。
若者たちが嫌韓に走るのも無理ないと思ってしまうのです。

いまさらながら、わが国とは仲良くできない状態にまで立ち至っているのではと、感じられてならない。

2015年11月11日水曜日

つける薬がないと答えて大笑い

お爺さんたちの会で旅行に行くと、殆どの人が朝晩持参した薬を大量に飲んでいる。
必要なのかも知れないが、薬漬けではかえって体によくあるまいと思ってしまいます。

血圧降下剤もお馴染みだが、血圧は必要があって上がるのだから、無理やり薬で下げるのはよくないのだとも聞きます。
私も高い目ですが、160-100であれば、特に心配することはないという説もある。
降下剤を飲むことで癌のリスクがあがるとも聞くから、慎重にもなる。

「貴方は薬を飲まないの?」と周りから聞かれるから、「うん、私には飲む薬もつける薬もないの!」と応えるのだが、みんなで大笑いになる。

2015年11月10日火曜日

「国民の声を無視して」というときの国民って?

NHK「クロ現」問題にBPOが意見書を出したという。ヤラセが取り沙汰された事案が前にあったように思うが、報道の自由というものに異を唱えると兎角問題になるが、野放しで良いとも思えない。

Wikiの記事によると、偏向報道をするときには常套句があるのだという。
以下のように列挙されていたが、確かに耳に馴染んだ言葉の数々です。

妥協して落しどころを探ると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・法案は骨抜きだ
政治に一部の民意を反映させない法案を押し通すと・・・・・・・・一方的だ、独裁だ
部下に大きな権限を与えて任せると・・・・・・・・・・・・丸投げで無責任だ
官邸主導で進めると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・独裁政治は許せない
決断を下すと・・・・・・・・・・・・・・なぜ急ぐのか、慎重に議論すべき
保留すると・・・・・・・・・・・・・・・・また先送りか
支持率上がると・・・・・・・・・・・人気取りの政策
  〃 下がると・・・・・・・・・・・もっと国民の声に耳を傾けよ
靖国に行くと・・・・・・・・・・・・近隣諸国の許可を得たのか?軍歌の足音が聞こえる
 〃 行かないと・・・・・・・・・・・国民との公約を破った
閣僚人事の予想があたると・・・新鮮味がない、地味
 〃  〃はずれると・・・・・・・・・またサプライズの手法、実務派を使え
拉致問題に取り組む前・・・・・・北朝鮮との友好を壊すな、拉致は政治的捏造だ
 〃  〃  取り組み後・・・・・なぜもっと早くやらなかったのだ
北朝鮮に強い態度取ると・・・・・なぜ話し合いで解決しようと努力しないのだ
  〃  と協調すると・・・・・・・・弱腰外交はやめろ
規制緩和すると・・・・・・・・・・・・・競争が激しくなり格差社会を助長する
 〃 〃 しないと・・・・・・・・・・・既得権益にメス入れろ
株価下がると・・・・・・・・・・・・・・・景気悪くなった、なんとかしろ
 〃 上がると・・・・・・・・・・・・・・格差広がった、すぐに是正しろ
景気が良くなると・・・・・・・・・・・・企業優遇税制をやめろ、格差社会を是正しろ
  〃 悪くなると・・・・・・・・・・・・景気対策がなおざりだ、社会保障を充実しろ
責任とって賞与を返納すると・・・金で済ますな、政権与党として無責任だ
首相や閣僚が辞任しないと・・・・まだ辞めないのか?国民は支持してないぞ
  〃 辞任すると・・・・・・・無責任な投げ出しだ、辞めて当たり前だ

報道の自由を標榜するのは良いにしても、鼻持ちならないのは自分がさも正義の味方でもあるかのように自説のみを主張すること。
コメンテーターやアンケートに応える人も、自分の意に沿った人たちばかり連れてきて、それだけを報道するのは如何なものか?
民主主義というなら、意見を持っている人は多岐にわたる筈なのに、それを報道しないのは偏向報道といわれても仕方があるまい。
少なくとも、「国民の意見を無視して」という表現は避けるべきだと思う。国民の代表みたいな心算になってもらっては困る。そんなのは自認するのとはかけ離れているのだから・・・


2015年11月9日月曜日

子猫だったが大きく育ったキジトラとチャトラ

毎日欠かさず交代で訪問してくる「キジトラ」と「チャトラ」は、子猫であったのに随分大きな猫に成長しました。





時にこの猫たちは鉢合わせをするが、余り仲がよさそうではありません。
「キジトラ」の方が「チャトラ」よりも少し強いみたいですが、威嚇するくらいであって、その場から追い払うまではしません。

暫らく軒下に控えていてから去っていきますが、それぞれに性格があって面白い。


2015年11月8日日曜日

11月6日の銀座王子ホールでの竹内英仁ピアノリサイタルは、素晴らしかった。
「ちょっと物知りになれるコンサート Vol.5」というタイトルがついていましたが、ちょっとどころではなく随分物知りになれた気がします。

曲ごとのの説明は、音大生向きの話しにまで及ぶこともありましたが、「素人が聞いてもそれがどんな風に曲に生かされるのか興味を引きこまれて、演奏が待ち遠しくなる程であった。」と、帰り際に感想を述べている方がいました。

「イ短調というのは」という説明では、今回のプログラムにはなかった他の作曲家の曲も何曲か例に出して弾いたりして、解り易かった。

大曲が揃っていたこともあって、時間は大幅におして30分以上も予定時間を過ぎましたが、殆どの人たちが最後まで聴きほれていて席を立つことなく、終演後も立ち去り難い人たちがロビーで演奏者に話しかけていました。

来年の同ホール(銀座王子ホール)での公演は、11月18日(金)が決まっているとのこと。








お釣りを貰っても良い?

先日、車に乗っていた時ラジオで聞いた話です。
女優のNYさんが若い時に強盗に入られたのだとか。
恐かったけれど「一体いくら欲しいの?」と聞いたのだというが、強盗も思わぬ質問に面食らって「200円欲しい。」と言ったらしい。昔は物価も安かった。
1000円札しかなかったので、お釣りを貰うわけにもいかず渡したらしいのだが、これは後に返ってきたというから、良い話として残っている。

強盗に釣り銭というのは面白いが、お賽銭の釣り銭を貰った人というのをしっています。
投げ込み式の賽銭箱では無理だが、手の届くところに剥き出しでお賽銭が入れられているところもあるのです。
罰当たりにもそこからお金を盗る人はいなかったのですが、賽銭用の小銭が無かったらしくて、納めた1000円札から「お釣りを貰うね」と言いながら硬貨を何枚かとっていました。
ご利益が減らないか?

2015年11月7日土曜日

神様に好かれる人は願い事が叶う

願い事を叶えることのできる人

何らかの願い事があって、神社仏閣に詣でるのはよくあることですが、なかなかその願いの筋が聞き届けられることはないようです。
気休めに過ぎないのかも知れませんが、藁にも縋りたいときというのは、誰にでも起こり得ることです。

願いが叶って御礼参りをする人というのは、現にいるようですが、叶わない人というのも多い。
そんな人というのは、この世的な日常生活においても、誰かにものを頼んでも聞いてもらえないことが多いようです。

人は他人にものを頼まれても、親身になってそれをやってあげたいと思える相手と、そうではない相手がいます。
その差は一体なんなのでしょう。

明らかに言えるのは、その相手が好きかどうかということであり、好きでもない相手に助力しようとすることは殆どありません。
好かれるということが大事なのですが、好かれる人というのは、相手が喜ぶことを普段の生活の中において必ずどこかでやっています。

神様や仏様でも同じことです。お願いの仕方が真剣であったから聞き届けられたということもあるでしょう。
しかし神様にも好かれるという日頃の行いが大事です。お賽銭の多寡では決してないと思えるのです。


2015年11月6日金曜日

隣とは仲良くしたいと思っても

遠交近攻(えんこうきんこう)は、兵法三十六計の第二十三計にあたる戦術。「遠きと 交わり近きを攻める」の意味です。
中国の戦国時代、諸国は絶えず戦争を 続けていたが、多くの国々が分立していたため、一国を攻める場合には複数の国々が 同盟を結び背後から近隣の国を攻めた。
大昔から謀略に長けていたという歴史を持つ強かな国と付き合うには、それなりの読みと覚悟がいる。
一筋縄ではいかないのだと知る必要がありそうです。

誰とでも仲良くするに越したことはないにしても、お隣だから仲良くしなければならない、ということはないのではないだろうか。

条約という国の約束も反古にして守らず、自分の都合ばかりを主張する国との付き合いも然り。
仲良くするために不当な要求をのんだり、我慢してまでいつまでも、譲歩を繰り返していても益がない。
それはもうずっとやってきた。
何をやっても理解しあえない相手とは、さし障りのない表面上の交際を続けるだけで十分良いのではと、ちかごろは思うようになってしまった。


2015年11月5日木曜日

雨降らせて地は固まるか?

水に流せない程、無いこと無いこと(有ること無いことではない)世界中に日本をディスカウントしてくれた、というのが我慢強い筈の大方の日本人が持っている実感ではないだろうか?
大人しく黙っていると思いやりすぎた。

水に流すとは、物事を相殺してなかったことにすること帳消しにする チャラにする 清算する バランスする ・人の罪を罰せずに赦す 赦免する 罪を許す 免罪する 赦す、
などのとき使われるが、酷いことをされた側が言うことのできる言葉であって、彼の国の使い方のように自分勝手にやったことを忘れて、無いことにするという意味ではない。

今回、「雨降って地固まる」という諺を引用したようであるが、意味は、争いごとが解決したら、お互い信頼関係も生まれ、良い関係ができるということ。争いごとがあったあとは、以前より良い状態になることを指していう。

大雨を降らし放題降らし、揉めなくてもよいことを無制限に拡大した側が臆面もなく口にしたことに違和感を禁じ得ない。

雨が降ると、地面が、ゆるんで、よくない状態になっても、雨がやめば、そのゆるんだ地面が、 前よりもまして、固くしっかりとした、良い状態になるということから生まれたようですが、土砂崩れしてしまったところは、修復に大工事が必要なのでは?


2015年11月4日水曜日

正々堂々と表通りを行く

不由径(こうふゆけい) 《四熟》 小道や裏通りを通らず、常に大通りを通る。ものごとを成すのに、近道を求めたり小細工を弄したりせず、正々堂々とした遣り方を取るということ。

高校時代の同期生の書展が、アートギャラリー道玄坂で11月2日~8日に催されるというので、初日に行って参りました。

「書の三山展」と銘うって、墨山・節山・静山・同窓の三書家の作品が展示されていました。
お三方とも書家として名を成したことや、他にも同窓生で書や絵画で名をなした人がいるから、
我がことのように喜ばしいことです。

「不由径」と大書された文字には迫力がありました。



漢文の読みおろし風によむと、みちによらず、となります。
径は小道のことです。


2015年11月3日火曜日

加賀藩には十村役という制度があった

北陸新幹線に初めて乗って金沢に行ってまいりました。
「かがやき」で2時間半、昔に比べると近くなりました。

金沢観光と言えば「兼六園」ですが、今回は公園の奥にある加賀前田家奥方御殿「成巽閣(せいそんかく)」を見学したのは先日書いた通りですが、その他に初めて訪ねたのが、国指定文化財 加賀藩十村役「喜多家」です。

十村役(とむらやく)とは、他藩でいう大庄屋に相当するもので、藩直轄の徴税代官を兼務したのだというが、加賀藩の治世が上手くために考え出されたものであることを実感します。

7000坪を越す広大な敷地に、一段掘り下げて目立たない屋敷を構えた由来も、実に奥深い戦略性をもっていたことがわかる。
座敷の長押に、山岡鉄舟の書が架かっていました。


「間有趣」(かん、おもむきあり)。ゆとり(間)をもつことは佳いことである、というような意味あい。物事には、間が大事です。
当主が一つずつ丁寧に説明してくれたのですが、時間があったら再訪したい。
観光客が多くなくて静かなのもよかった。