2013年9月11日水曜日

ザルで水は掬えない


 ザルとか網は、使い方によるとゴミをすくうのに便利です。ですからお掃除のための有効な道具となります。

 しかし、ザルで水を掬うというのは、できぬ相談です。同様に網でメダカを掬うというのも叶わぬことがら。

 このことから、救いようのないバカを呼んでメダカばかということがあります。

 

 先日、朝のラッシュ時間を過ぎてかなり空いた山手線に乗ろうとしたとき、後ろから若い女性に突き飛ばされました。もっとも、若い女性だとわかったのは後のことです。

 その後っていうのは、一つだけ空いていた席に座らんがためであったということだし、なぜ座らねばならなかったかというと、座って眠るためだったのであります。

 座るやいなや、およそ人類の品性とは程遠い顔を人前に曝し、口も足も広げて寝てしまいました。おーおー。

 はじめはショジョのごとくって風情更になく、最初から最後までダットのごとしでした。

 

 ガッコも親も一体なに教えているのやら、それとも教わったけれど身につかなかったのか。

 我が身の目先だけを求めてなりふり構わず得たものなど知れたもので、心の平安や幸せな気持ちに至るには程遠いもの。

 

 なにごとをも可能にするといわれる潜在意識の世界では、自分と他人を区別できないのだといわれています。

 善人ぶる必要はないかとおもいますが、利己的なことばかりやっていると、自分がそれをわかっているだけにどっかでツケを払う選択をしてることに等しいのでは・・・

 ザルで水は掬えない。幸せも掬えないということになる。

 自分にも他人にも気持ちの良いことをしたらどうかと思うのだが・・・

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