2013年11月26日火曜日

茄子に無駄花なしというけれど


夏、繁っていた茄子が、秋茄子をならせていましたが、もう冬だというのにまだ、いくつか花を咲かせています。

 

 親の意見とナスビの花は、千に一つも無駄がない。そう昔の人ははいいましたが、今そんな覚悟があって子にものが言えている親がどのくらいいるだろう。

まさに為す(成す)というには覚悟がいるのです。

 

さくばんは、酔ったおじいさんが多少怪しげな呂律で面白い歌を口ずさんでおりました。聞いたこちらもかなりいい加減だから、あまり定かじゃないけど、こんな歌詞でした。

 

親が裁判官で子が泥棒   (おや~がさいばんかんで こがどろぼう~)

検事判事が叔父さんで   (けん~じはんじが おじさんで)

そこで弁護士が従兄弟なら (そこ~でべんごしが いとこなら)

何で裁きがつけられよう  (なんで さばきがつけられよー)

 

まさに「わや」、めちゃくちゃです。

自分だけ良ければというのは、なかなか通らないことなのですが、誰も見ていない誰も知らないということになると、気が緩むらしい。

でも、一番知られたくない人が知ってしまっている、ということが多いようです。

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