2019年5月29日水曜日

ヒヨコが産まれるには


「啐啄同時(そったく同時)」という禅語があります。
啐啄同時とは、鶏の雛が卵から産まれ出ようとするとき、殻の中から卵の殻をつついて音をたてます。これを「啐」と言います。
そのとき、すかさず親鳥が外から殻を啄ついて破る、これを「啄」と言います。
そしてこの「啐」と「啄」が同時であってはじめて、殻が破れて雛が産まれるわけです。これを「啐啄同時」と言います。これは鶏に限らず、師匠と弟子。親と子の関係にも学ぶべき大切な言葉です。

妙心寺ご開山(関山慧玄・無相大師)の逸話なのだという。
ある雨の日のこと、開山さまの部屋から、「なんぞ持ってこい」と呼ぶ声がしました。
「また雨漏りだ、早く何か持っていけ」と僧たちが騒いでいると、一人の僧が笊を持って飛んで行きました。
すると、「これだ、これだ、よく持ってきた」と上機嫌で褒めているところへ、もう一人の僧が桶を探して持ってきました。
すると、「バカ者!そんなものが役に立つか!」と烈火のごとく叱りとばされたという。

笊で水を掬うというように、水を貯めるのに笊では用を足さない。
普通ならば桶ですが、そこは禅の修行の場。雨漏りだから桶だと考えて行動する分別があったから駄目なのだというのである。
師匠からもってこいと言われたら、ざるでも桶でも何でもいいのです。「オーイ」と呼ばれたら「ハイ」と返事する。そこには一分の隙もない無心の教えなのだとか。これこそ師匠と弟子との啐啄同時というのだが、解ったような解らないような・・・

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