2019年12月21日土曜日

自分の尻に火が付いた?


報道の在り方というのには、エビデンスというのが求められるのではないのか?
自分の主張に都合の良い切り張りをして、公共の場で無責任なことを言ってもらっては困る。
それも言いっ放しで、間違いが指摘されると釈明もしないで逃げるのでは、なんともなるまい。
Aテレビの番組では継接ぎ編集をしてまでして印象操作をしようとしたのがバレて、おざなりな謝罪をしたが、それで済む問題ではあるまい。一度や二度のことではないからである。

Youtube上にAテレビのコールセンターに質問を投げかけた一部始終の音声が出ていたので聞いてみたが、電話に出た応対者は身分も役割も明らかにせず、唯々そういうご意見があったことを伝えますと、木で鼻をくくったように繰り返すだけで、どこに伝えるかも判らないというお粗末すぎる対応で、不快そのものであった。
これでは、全社一丸となって放送事故を防ぐ対応などできる筈がない。フェイクニュースが繰り返される温床ともなりかねまい。

桜を観る会でのジャパンライフを反社会組織だと手厳しく批判していたコメンテーターのG氏も、実はそこから多額な顧問料を貰っていたのではないかということが取りざたされ、彼が好きな「説明責任」を果たすことなく入院ということで雲隠れしてしまったらしい。
普段偉そうなことを言っている割には情けないのではないのか。
偏ったことにばかりの解説の方向付けをしていると、二進も三進もいかなくなるのであるから、公正な発言をしてこなかった結果だとは思うけれど・・・
それがブーメランだったとなれば、惨めとしか言いようがあるまい。

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