2019年12月24日火曜日

女性たちが本当にそれを望んでいるのだろうか

男女格差指数(Gender Gap Index : GGI)、ジェンダー・ギャップ指数ということがいわれるようになってきた。
日本の女性の社会進出の度合いが、世界各国に比べると低いのだという。
さもさもそれが悪いことのように言われるが、果たしてそうなのだろうか?
ジェンダーギャップスコアのランクガ低いのは、日本女性の政治参加と経済参加の数が少ないことが原因だと思うが、それを数で比べてどうなるというのだろう?
日本よりランクが上位にある国の女性が、日本の女性より幸せだと感じているとはとても思えない。変な人権団体が騒ぐことで迷惑に思っている女性は意外に多い。彼女たちは大声をあげて人前で主張しないだけであって、男女差別だなどと思わずに幸せを感じている人が多いのだと何故に配慮しないのだろうか?
女性が家庭に入り、家と家族を支え子供の教育に専念することが軽く見られて良い筈がない。
それに誇りを持ち幸せを感じている女性の意見というのを無視していないか?
外に出て男性と競うことがそんなに求められる重大事なのだろうか。

女性の中に「女は子供を産む機械ではない。」と主張し、専業主婦を軽んじる風潮がいつの間にか醸成されてきているように感じる。悲しすぎないか。
外に出て男性に互して働こうとするときに機会が均等であるべきだというのは解かる。
しかし、それを男女の比率を決めてまで地位や役職を配分するというのは本末転倒なのではないのか?
外国では、白人と黒人の参画比率まで法で決めているところもあるようだが、それは差別という歴史上の背景があるから必要な措置かも知れないが、それだって逆差別の危険性を伴う。

志を立てて社会に進出し、努力を惜しまず実力を身に着けていたら、それが認められるのに性差別や人種差別はしないというのなら大いに賛成する。
誤解を招きかねないけれど、男女が担う役割というのは生物学的に厳然として存在する。得手不得手というのは有るのである。越えられない範と言う他ない。
だから、お互いに認め合い尊敬しあってきたのが日本の歴史なのであって、他国と較べるようなものではない。
良妻賢母という言葉も、いずれは差別用語となってしまう運命にあるのだろうか。
男はどんなに頑張っても子は産めない。自分の子供をどんなに慈しんでも、子供は父親よりも母親の味方になる。自然界の摂理というものを越える知恵は、権利主張ではないように思う。

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