2019年12月20日金曜日

アジアでは日本以外に戦う力を持っていなかった


戦後間もなく小学生となった時代に育ったから、学校では自虐史観の教育をされた。
その後も、教師やマスコミは、そこから抜け出ることから目を逸らせることでは一貫していたように感じる。
敗戦国であるから仕方ないとして受け入れて来たが、一所懸命働いている親たちの姿をみていて、先人たちが悪の権化だったとはとても思えないで過ごしていた。
韓国が反日的言動を繰り返していることから、そんなに日本は悪いことをしたのかと思い、それが当時の歴史を調べてみることにつながった。
ある意味で、そういう機会を与えてくれた韓国に感謝してさえいる。
戦争を美化する気は無いし、戦争をしたのだから責められても仕方ないこともあったであろうことを否定する心算もない。
しかし、意外なことに世界に類のないほど、日本は国際法に従って正々堂々と戦ったのだということが判ってくる。

有色人種であるアジア諸国がまとまって経済圏を築くことになったら、植民地支配をしている国々にとって極めて不都合なことになる。それを主導する日本は目障りであった。
日本を屈服させるには、軍事力を削ぐしかない。ABCDラインにより石油を一滴も日本に入れなくするのは当然の戦略であった。
日本は独立自存と安全保障の為に、東南アジア諸国への侵攻を図るしかなかった。そこは白人による植民地支配を長きにわたってなされている地であった。

白人絶対主義ともいえる考え方が定着していて、家畜同然の扱いを受けているにも関わらず、そこから脱却できると想像もできなかった彼らは、開戦後数か月で白人支配者たちを日本が駆逐してしまったことに勇気を与えられた。
日本は希望の光となった。
占領した現地国の殆どに、将来独立国としての実力を備えたら、独立を援助すると日本軍は約束している。
そのために採った政策は、教育と自国軍の軍人を育てることであった。
日本が敗戦するとすぐに、オランダはインドネシアを再度植民地にしようとしたが、インドネシアは自ら戦ってそれを排除する力を持つに至っていた。日本に帰国することなく旧日本軍軍人2000人がインドネシア軍に加わって戦い、1000人が犠牲となったことをインドネシア国民は忘れていないという。

日本は悪であったと決めつけられ、日本人の多くもそう思っているが、独立を果たしたアジア諸国は違う評価をしている。
いくつかの例を挙げてみると、
ククリット・プラモード元タイ首相:
日本のおかげで アジア諸国はみな独立した。日本と言うお母さんは 難産して母胎をそこねたが 生まれた子供たちはすくすくと育っている
今日東南アジア諸国民が 米英と対等に話ができるのは 一体誰のおかげであるか
それは身を殺して仁を為した日本と言うお母さんがあったためである
十二月八日は我々に この重大な思想を示してくれたお母さんが 一身を賭して重大な決心をされた日である
我々は、この日を忘れてはならない

ウイリアム・ローガン弁護士:
「私は最初日本に着いた時は、これはとんでもない事件を引き受けたものだと後悔しないでもなかった。
しかるにその後種種調査、研究をしているうちに私どもがアメリカで考えていた事とは全然逆であって、日本には20年間一貫した世界侵略の共同謀議なんて断じてなかった事に確信を持つに至った。
したがって起訴事実は、当然全部無罪である」

アメリカ人弁護士が2年半費やして確信した事実が、このように語られている。

歴史事実を調べてみると、先人たちが何を考えてどう行動したかが浮き彫りになってくる。
誇りに思っていいことが沢山埋もれている。

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