一般人はメディアによる報道を頼りにするしか情報を手に入れることができないでいたが、それらはメディア側にとって都合の良いニュースしか流さないのではないかと視聴者は気づいてしまった。
それをカバーしようとして頼りにしたSNSも、実際には主催者の検閲が投稿を制限して、場合によれば彼らの思惑通りにアカウントを自由に削除するのだという恐ろしい現実があるのだということも知るに至ってしまったようである。
言論の自由だなどと言っても、実際には一般人がそれを発信する場が殆どないということになる。
確かに麻〇や売〇やテ〇や人種差別などを煽るものは制限されて然るべしだとは思うが、主義主張や伝えようとする事実を恣意的に制限して掲載できなくしてしまうのでは、言論の自由などというのは存在できなくなるのではないのか?
記事の内容に反論があるのなら、記事によって対応するのでなければ、人々の考え方は媒体側の思惑によって制限され、どのようにでも誘導できる世の中になってしまうように思える。
言論の自由が保障されている国だと信じていた米国でさえもが、このところそうではないのだと思える事象が続いている。
なんだかんだ言っても、日本が一番自由なのではないのかと思えてきてしまった。
日本では、特定の何カ国かをマスコミが必死になって擁護するくらいで済んでいる。
日本国内の言論がC国やNK国や反日に勤しむ国のようになる前に、日本独自の検索エンジンとプラットホームを構築する必要があるのではなかろうか。
文化大革命の轍を踏む虞は十分にあり得る。
日本は過去にOSを潰され、半導体を潰された苦い経験があるのだから、これからでも良いから対応策を作っておくべきだと思う。
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私が書いた小説 「夏風越の(なつかざこしの)」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054887709936/episodes/1177354054887713218
「鵯越え」・・・・「夏風越の)」の続編です
https://kakuyomu.jp/works/1177354054935239046/episodes/1177354054935239209
「くぬぎ越え」・・・「夏風越の)」の続々編です
https://kakuyomu.jp/works/1177354054954452867/episodes/1177354054954453601
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