2021年1月24日日曜日

ソ連が日本に対してしたこと

 

日露不可侵条約を一方的に破棄し、突然日本に襲い掛かったロシアの行動は、忘れようにも忘れられない記憶を残している。樺太や北方4島も無法に占拠されて、未だに返還されていない。

ボリショイバレエやチャイコフススキーなどの好ましいと思う文化があり、近隣国であるから友好関係を築いていかねばならないのだとは思うが、いまいち信用しきれない思いが燻ってしまっている。

終戦直後、当時の満州国などの外地に残っていた日本兵ら約60万人が、ソ連によって武装解除・投降を余儀なくされ、捕虜としてシベリアをはじめとするソ連各地に連行されて長期にわたり抑留されたことを忘れてしまってよい筈がない。そこでは想像を絶する寒さや容赦のない重労働、劣悪な生活環境などにより、約10人に1人にあたる約6万人が命を落としたといわれている。

日露戦争では約7万人のロシア兵捕虜となり、全国29都市に捕虜収容所ができた。 姫路は全国3番目の1904年8月、寺や神社などに収容所が開設され、約2200人が暮らした。 日本は捕虜の人道的処遇を定めたジュネーブ条約に基づき服の新調費を支給、運動や買い物などの外出も比較的自由だったとされる。これに比べたら、ソ連は恥ずべきである。

帰還できた兵たちの多くが洗脳されて共産主義を日本で広めたともいわれていて、それは現在に至るも陰を引いているとされる。


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