文春に発表された財務事務次官の財政状況に関する認識の是非について、財政の知識があるわけではないから、この場で述べるつもりはない。
しかし、政権与党の総裁選挙が行われた直後、しかも衆議院総選挙直前に発表された論稿は、単なる個人の意見として済ませられない意味を持つものと考えられ、時宜を得ていたとは思えない。
高級官僚が意見を述べるには、時と場所というのが必要なのではないのか?
言いたいことを一方的に述べて終わりでは、他の認識を持つ人たちは堪ったものではない。
松野官房長官は10月11日の官房長官記者会見で「財政健全化に向けた一般的な政策論について私的な意見と述べたものと承知している」と述べているが、財政を担う官僚のトップが政治的に影響を直接的に与えるタイミングで論稿を発表したことが私的な意見として許されるとしたら、公務員の守秘義務はどうなってしまうのだろうか。
彼の主張は識者たちにより論破されたようだが、その職にある者が基礎的に知らねばならない論理の矛盾を指摘されていたようだし、トップとしての能力に疑念をもたれなかったのかと気になる。
本来の財政をどのようにしていくかの議論は、公正に尽くされねばならない。
財務事務次官によって「官僚が公に政治家の議論に関する論稿を国会以外の場で公表し、言いっ放しでも許される」という慣習が定着することがあってはならないのだと思う。
官僚はことを公に述べるなら、自らの主張が質問や批判にさらされる覚悟を持つべきである。
矢野事務次官に持論を大いに語って頂くのには、国会の公聴会で公述人として財政論を戦わせる委員会の場を持った方がよさそうである。
以前にビーチ前川と異名をとった文部次官もそうした。
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