物事を話すとき、自分は言葉をコントロールしていると思っているが、言葉が会話をコントロールしているのだと思った方がよさそうである。
日本語は相手を思いやる優しさを備えた文化の現れなのだと気づけないと、人格さえ曲がってしまう。
お笑い番組であればその言動が許されることはあっても、人を傷つけているかも知れない毒舌が、いかなる場でも通用するわけではない。
先般の選挙特番での芸人さんの暴走ともいえる言動は、この先お構いなしということで終わるとは思えない。人格の本性が露呈してしまったら、本業にも影響がでない筈がない。
頭の良さをひけらかそうとしたのかも知れないが、真摯な謝罪をしないと、思い違いとしか思えないでなした振る舞いが逆効果を齎して、自滅に向かうしかないように思える。
政治家は選挙の洗礼を受けて、国民から当落の判断がなされる。
芸人は何を言っても咎められないが、議員は落選したとしたら、否応なく責任を問われたということになる厳正な結果が待っている。
それを茶化すようなことをしたら、人倫上顰蹙を買って当然である。
選挙が終わったことで司会時の不作法さが話題から消えるかと思ったら、ますます非難する人が増えているようである。
「謝って欲しけりゃ謝ってやるよ。」と言い放っているようだが、それでは火に油を注ぐようなものである。
居直っても許されるほどの人気や実力があるとは思えない。
普段の芸能活動でも目にされるそれらの不快感が、今回は表立ってとらえられるようになったのであるとしたら、今後の芸能活動にも暗雲が垂れ込めよう。
0 件のコメント:
コメントを投稿