2021年11月13日土曜日

国を守る姿勢を見せないと

 

友好的にという耳障りの良い言葉が覆い隠している現実を、そろそろ認識しなおしてみる必要があるのではないのか。

いつまでも現実から目を逸らしていては、平和は維持できない。

 

残念ながら、隣国に恵まれているとは思えない。いかに努力しても無理だとしたら、自衛策を講じて後、関係を深めることからは距離を置くしかない。

1500年前の三韓時代からの恨みすら自国内で解消できず、互いを罵りあう国民が国内的にまとまることはおろか、諸外国との融和が図れるわけがない。

とりわけ隣国に有って関係の深かった日本は格好の標的となり、自分たちが解決できない諸問題の原因は全て日本にあるとして、その解決の為に金員をたかることが定着してしまったことを匡すことなぞできまい。

こちらが要求を叶えても、次から次へと新たに問題を作り出すから際限がない。

約束はその場限りで、守る気は最初からないから、どんな首脳会議をしても意味がないことを歴史が証明してしまっている。この先も変わることはあるまい。

 

力による現状変更を露骨に示す中国は、経済的に発展できたことでその余力を軍事費にシフトし、近隣諸国への脅威は歯止めが利かなくなっている。

 

韓国も中国も、日本の協力がその経済の発展に寄与してきたことは否定できまい。

余裕ができたことで日本への敵対意識が強化されてしまったとしたら、日本のやりかたが間違っていたのだと思わざるを得ない。

 

理想を掲げるのはよいのだけれど、えてしてそれはお人よしとしての弱点を兼ねてしまう。

譲れば付け込んでくるというのが国際社会である。

核兵器廃絶もそれが理想ではあるだろうが、現実に核兵器を保有している国々がそれに賛同するわけがない。

他国を互いに信頼することができる世界にはなっていないという現実の前には、核兵器を持つことが核兵器で攻撃されない抑止力であるとする考え方が放棄されることは期待できない。

核兵器を持たない国が束になって騒いでも、現実化しないであろうことは、考えてみるまでもなく解かる。国連にだってそんな力はない。

残念ながら、平和と言うのは軍事的バランスを抜きにしては成り立たない。

 

日本が抑止力を持つための第一段階は憲法の改正である。

今回の選挙でそれを発議できる議席数を得ることができたが、自民党は党是としてきた憲法改正に踏み出すことはできるのだろうか?

戦後定着してしまった憲法改正反対論は、よほどの覚悟なしには覆せないだろうが、政権が崩壊するとしてもやらなければならない時期がきたのだと思う。

国が潰れてしまったのではどうにもならない。

遺憾砲を連発しても何の効果もないのである。

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