ほんとは皺なのに、昔のことだからと史話なんて。
昔だって皺がよるほど激しかなかったけれどネ。
で、よく思うのですが、「真実」と「事実」と「解釈」ってあたりがそれこそ混然として使われ、ときによっては思い込みが信念とまでなっていて、改めて検証もしてみないで世に出ているものって多いのではないかと感じることが多々あります。
それが自分の頭で考えたものでなく、思い入れや思惑、宣伝や教育などで、そのまま刷り込まれてしまっていて疑ってもみなかったことが、いいもわるいも含めて「えっそうだったの?」となっているとしたら、オウムじゃないんだからと、改めて学びなおさねばならぬことの多いことに愕然とする。
脳みそのシワも伸び加減になってるしするけれど、こっちのシワはふやさねばならない。
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