曽我蕭白の日本画に、雪山童子があります。釈迦の前世と言われていますが、女性と見紛うようなかなり不思議な絵です。
雪童子(ゆきわらし)ではありませんから、何者を描いたのか知識が必要となります。
説話というのは、こうです。
遠い遠い昔、雪山に若い修行僧がいて、人々はその修行僧を雪山童子と呼んで尊敬してたのだといいます。
あるとき帝釈天が、その雪山童子の修行の程を試さんとして、悪魔の姿に身を変え雪山童子の前に立ち「諸行無常、是生滅法」と唱えたのだそうです。
諸行無常とは、ご存じの通り、一切の物事は常に移り変わり止む時が無いという意味であり、是生滅法とは万物はみな必ず亡びるという事であります。
ところが、この悪魔の唱えた「諸行無常、是生滅法」の言葉を聞いた雪山童子は、その深遠な言葉に驚嘆し、悪魔に「今唱えた言葉の続きはありませんか。」と尋ねたのだそうです。
悪魔は「いやそれに続いてあと二句ある。」と答えたといいます。
感じ入ってしまっている雪山童子は、どうしてもその後の語句を聞きたくて、是非教えてくれるように悪魔に頼み込みました。
それに対し、悪魔は言いました。
「この尊い教えはわしが長い修行の末到達し得た悟りであるから、簡単には教えられぬ。わしは修行が過ぎて今食べるものがなく、今まさに餓死しようとしている。もしわしがお前を今食べる事が出来れば、お前の血と肉でわしはこの先永遠にいき続ける事が出来ようというもの。この後の歌を聞きたいというのなら、替りにお前の血と肉をわしに捧げることができるか?。」
雪山童子は、即座に「解りました。私の肉体を貴方に捧げることをお約束致します。どうか続きの語句をご教示下さい。」と答えました。
「では教えてやろう。それは生滅滅己 寂滅為楽である。」
生滅滅己とは生滅すなわち生き死になどの煩悩を自分の心から滅すれば、寂滅為楽、すなわち涅槃に入り、安らかになり悟りを開く事ができるという事であります。
雪山童子はその言葉を聞くや歓喜した。
「諸行無常、是生滅法、生滅滅己、寂滅為楽」と何度も口ずさむと、この言葉を山中の木々の幹といわず、石といわず書き連ねました
「これで思い残す事はありません。後世の人はこれを読んで、きっと悟りを開くことが出来ることでしょう。さあ、何時にても私を食べて下さい。」
すると、たちどころに、悪魔は本来の帝釈天の姿に戻り、こう言いました。
「貴方はゆくゆく必ず仏になって、衆生を救うことができるであろう。私は貴方の影となり貴方を守護しましょう。」と言い終えると、天に昇って行きました。
完全な悟りを得ると仏と一体となり、もはや輪廻転生から逃れる事が出来る。
しかし、悟りが完全でないと仏になる事は出来ず、如来、あるいは菩薩となって再び輪廻転生を繰り返さなくてはならない。
観音や菩薩といえども修行中の身であり、仏となるべく次の修行が必要とされるが、時代が進み後世になると、如来信仰、菩薩信仰が強くなり、如来はすでに真実を悟り仏となることが出来るにも拘わらず、衆生を救済するために、あえて仏となることなく、菩薩として現世に戻り、人々を救う為に奇跡を起こす働きをするのだと考えられるようになりました。
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