2019年4月18日木曜日

縄文時代には稲作をしていた


日本の古代史の研究というと、古事記・日本書紀がまず挙げられる。

古代の歴史書ということになれば、それは時の政権に都合の良いものとして書かれていても不思議はないし、現代のように歴史事実を正確に記したものではなかろうことも想定できる。
皇国史観に基づくものであるとか、神話などは歴史とも呼べないとして一笑に付してしまったら、
その中から学べるものは皆無となってしまう。
世に出ていない隠れた古文書というのが日本には多いらしいから、比較研究すれば分かって来ることも多いのではなかろうか。
中でも、日本各地で発見されるペトログリフは、日本に漢字以前に文字が存在していた証拠だと思えるのだが、これらの研究はどうなっているのだろう?
考古学的な発見により、歴史は見直されるということにも、並行したものとならなければ、研究の成果はあがらない。

大化の改新のとき以前のものは、蘇我氏の館と共に燃やされてしまったのだともいうが、それでも日本に残っている古文書は多いのだという。それらには必ず意味があるように思う。

諸外国のように王朝が変わると、それは易姓革命であったことが多いから、前時代のものは焚書の憂き目にあい、次代に都合がよいものに書き換えられたに違いないにしても、何らかの痕跡はどうしても残る。
日本はそういう意味でいえば、万世一系で続いているから、残されたものには文化遺産としての価値も高いように思う。自ら文化を捨て去って残さなかった国々との違いは大きい。

ヲシテ文字によるホツマツタエ、竹内文書・九鬼文書(くかみもんじょ)・上記(うえつふみ)などというのがあって、それらは神代文字とか古代文字で書かれているというが、解読しても奇書だとか偽書だとか言われて研究対象から除外されてしまうようである。
しかし、本当にそこには真実が記されていないのだろうか?
少なくとも、それらの文書が書き残された意味はどこにあるのかというくらいは究明されても良いように思える。
古伝四書と呼ばれる
『ウエツフミ』(大友文書大友文献ともいう)
『ホツマタエ』(漢字ではなくカナ書きするのがの流儀)
『ミカサフミ』
『カタカムナのウタヒ』(いわゆる「カタカムナ」)なども同様である。
16000年の歴史があると言われる縄文文化も、地道な研究の結果明らかになって来たことがある。学校で教え込まれていたこととはどうやら大きく異なる。
日本人のルーツは、大陸或いは半島から渡来した人たちの裔だとされてきたが、DNAの解析結果によると全く違うのだというが、どういうわけか、日本に古くからの文化があったことを認めたがらない学者が多いのだとか。
出土した縄文遺跡からの出土品から、7000年前には日本で稲作がなされていたことは科学的に証明されてしまった。縄文土器は世界最古の土器とされるし、縄を綯うということは布もあったということになる。事実、土器の底には布の痕が残されている。
弥生人が稲作を伝えたというが、学者が言い立てた弥生時代というのは、半島に人が住んで居なかったことが地質学・気候学的に明らかになっている。
それによって日本の歴史教科書は、それらを反映したものになっているのだろうか?
先祖がどこからやってきたとしても別に構わないが、学者は学問上知りえたことで、歴史を見直すことがあってよいのではないか?教科書が書き改められたという話は一向に聞かない。

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