2019年4月23日火曜日

禿山にすることなく鉄を作った


石器時代から青銅器時代を経て、やがて鉄器文明へと移ったのだと学校では習った。

初期の製鉄は、炉の中に木炭と鉄の鉱石を層状に投入し、鞴(ふいご)で空気を送って燃焼させ、その熱により溶けだした二酸化炭素と結合した金属鉄を取り出して使った。

この化学反応に必要な温度は400から800度ほどであり、温度が低いことから、孔だらけで海綿状の質の悪い鉄であった。硬いものの上で赤熱のまま打ち叩いて不純物を絞り出し、鉄原子同士をくっつけ直すことで純粋な鉄にすることが必要であった。
鉄器の原料となる砂鉄や鉄鉱石などは、青銅器の原料である銅鉱石やスズ鉱石にくらべて偏在が少なく、世界の多くの地域において容易に入手が可能なものであった。
このため、その土地の原料によって製鉄が試みられるようになり、金属器の増産をもたらした。
ただ、古くに轍を製造していた地は、その殆どが砂漠化してしまった。

石炭を燃やし、その高熱を利用して鉄を取り出したり精錬することがなかった時代では、木材や木炭を使うしかなかったから、大量の木がその燃料となった結果、禿山となった地は保水力を失い、砂漠化への道を辿ったのだということは容易に推測できる。

唯一、日本だけはそうならなかった。工夫がなされた。
素戔嗚尊の神話で知られる天の叢雲の剣(草薙剣)は、出雲地方の砂鉄から玉鋼を作り、それからできた鉄剣であったと思われるが(神器であるから見た人がいない)、日本人はその頃から知恵が働いていたのだとしか思えない。
八岐大蛇が暴れたというのは、多分河川の氾濫のことであったろうから、治水のためには植林が必要であった。スサノオの詠んだ“八重垣”というのは、護岸工事のために植えられた木であったと考えられる。
その後に備前の国を中心として大量に作られた日本刀も、出雲の砂鉄と、メンテナンスに配慮された中国山地の木材に支えられて発展したのだと推測すると解りやすい。

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