2019年4月25日木曜日

美意識


桜吹雪。花が散る風情を美しいと感じるのは、日本人特有のものなのだろうか?

日本には地震や台風により大災害が起こることが多い。
そんな時に暴動も略奪も起こさず、互いに助け合って冷静に対処している姿を見て、外国人は驚嘆するのだという。
支援物資が配られるとなれば、争って奪い合いなどせず、整然と並び順番に礼を言って受け取る。至って普通のことだと思っていたら、諸外国では違うのだという。
宗教国でもないのに何故それができるのかが不思議なのだという。

日本の神道には経典というものはないし、仏教というのも道徳律というわけではないが、人たるの道は自然に発揮される。
意識しているかどうかは別にして、身内に培われている美意識に従って自らを律しているのではないかと思えてならない。
では、美とは何かという事になるのであるが、今を盛りとしているものでもやがて滅びるのだと思うところから発しているように思える。
「もののあわれ」がそこに伴っているものに、日本人は美を感じた。
後に武士が出てくると、さらに潔さというものが加わった。
生ある者同士が命のやり取りをするのであるから、勝っても負けてもそれが認められるルールというのができていったであろうし、それを認めるのが潔さとなった。
天に恥じず戦ったことを敵味方双方が認めるとき、それを「あっぱれ」と言った。
命というものを大切にするなら、動物も植物もない。自然全体が対象となって、その後ろにあるものを感じ取ろうとしたのである。
「もののあわれ」と「あっぱれ」が含まれていてこそ、美を感じたのだと思う。
武士道にしろ、芸道にしろ、商道にしろ、美を求めて成り立ったのが道。そして、お天道様が見ているというのが共通認識となっていれば、それはルールを越えた。

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