2019年4月13日土曜日

残忍な制度であった宦官


日本は、昔から外国からの文物を取り入れたが、その良し悪しは独自に選択し、良いものは古来の文化に同化させてより良いものに発展させたということは、前に書いた。
アメリカザリガニや牛蛙を食料として取り入れたことがあったけれど、それは定着しなかったのだということを知らなかったことは汗顔の至りではあるが、その汗顔ではなく「宦官」の制度は決して採り入れなかった。

中国や韓国の宮廷ドラマを見ていると出てくる宦官は、大抵の場合悪人が多い。
宦官(かんがん)とは、去勢を施された官吏のことである。
去勢技術は家畜に施すものとして生まれたものであるから、宦官は牧畜文化を持つ国にのみ存在するという説があるが、現実には牧畜文化を持たない国においても宦官は存在した

刑罰として去勢(宮刑・腐刑)されたり、異民族の捕虜や献上奴隷が去勢された後、皇帝や後宮に仕えるようになったのが宦官の始まりであるという。
しかし、皇帝やその寵妃等の側近として重用され、権勢を誇る者も出て来るようになると、それに倣って自主的に去勢し、宦官を志願する事例も出てくるようになった。
このように自ら宦官となる行為を自官あるいは浄身と呼ぶ。
大抵は身分の低い者がそれをして宮廷に入ったというが、宦官になれば、ある程度の立身は約束されたというけれど、全ての者がそれを保証されていたわけではなく、何よりも医療技術がある訳でもない時代にそれをすることは命がけであった。5人に一人は死んだのだという。
臭大麻(しゅうたいま)=朝鮮朝顔から作った麻酔薬を使ったというが、その痛さは想像を絶する。
中国諸王朝において官僚は特権階級であったが、貴族ではない庶民階級の者が文武問わず正規の官僚として高位へ登る道は、隋以降に導入された極端に競争の激しい科挙(進士採用試験)を除くと事実上ないに等しく、自宮者は後を絶たなかったという。

刑罰としての去勢、即ち宮刑を受け入れた人で有名なのは司馬遷である。
何かの罪に連座したのだが、歴史を課金超すという志が高かったので死ぬわけにはいかずその刑を受け入れ、「史記」を残した。
いずれにしても、去勢などというのは残忍なものであることに変わりはない。

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