2019年4月1日月曜日

儒学が学問だけで終わっていたのでは


口を開けば、韓国は儒教の国だと自慢する。儒学ではなく儒教というあたりが何とも浅い。
儒教と言ったら、それは学問ではなく宗教のことになる。

冗談を言ってはいけません。儒学は韓国の専売ではありません。
日本だって儒学は中国から取り入れて学んだ国である。
しかし、良い所は取り入れたが、ただ、それに囚われずその上を行った。
嘘をつくことを恥とし、約束を守ることに命をかけるくらい、道徳的な国民性を高めた。

中国や韓国では、科挙の試験を通らなければ役人として認められなかったが、日本ではそんなことはない。学問だけで終わりにしていないのである。
ドラマを見ていて判る通り、韓国のように教条的になりすぎて、言葉のやり取りが命に係わるようなことになっていたら、国の発展に役立つような実学的な学問にならなかったであろうことは、容易に想像できる。学問をして、意味のない理屈をこねくり回して政敵をやりこめて終わりなのである。

学校で漢文の授業の際、漢詩や論語の障りくらいは学んだから、儒学というのは古代中国の代表的思想家として、孔子が唱え大成させたものであることは知っている。
一言で言えば「修己治人(しゅうこちじん)」の学であるとされ、「己(おのれ)を修め人を治める」ことを意味する。自身で道徳的修養を積み(=修己)、その道徳を持って人を善導し治める(=治人)というもの。

三国志などを読めば解かる通り、その昔の中国は無法者で溢れていた。
秩序を建てるためには、中心となる考え方は必要である。
暴力や争いが絶えなかった時代、支配者の武力や力のみが天下を治める術となっていたことに反発し、そんな覇道でなく徳による王道で天下は治められるべきだと訴えたのであったが、最初から受け入れられたのでもない。

儒学では一般的には、五常(仁、義、礼、智、信)と呼ばれる5つの徳性を養うことで、自身と関わり合う五倫(夫婦、父子、朋友、長幼、君臣)との関係性を良好に保つことを教えた。
特に五常の中でも「仁(人と接する心の在り方、思いやり・真心)」が重んじられ、家族を中心とした父母兄弟を大切にすることが説かれている点がポイントであるが、人としては重要な事柄であった。

朱子学は儒学が派生して、11世紀ころ、宋の朱熹が大成した教えである。
身分秩序や格物致知、理気二元論といった考え方を重視し、特に身分秩序に関しては、自然や万物に上下関係・尊卑があるように人間社会にもそのような差別があって然るべきと考えた。
封建社会を統べるのに、権力者側から見れば都合がよかった。
韓国は、この朱子学が幅を利かせた。上下関係に今も拘るのはその影響なのかも知れない。

陽明学は、その名の通り明の王陽明が始めた学問である。
致良知、心即理、知行合一といった言葉で語られ、朱子学を否定して生まれた思想としてその中心に「孝」を掲げている。
これは、単純に「親孝行する」という意味のみならず、周囲の人間との関係性を重視し誰とでも懇ろに親しみ、上の者を敬い、下の者を軽んじ侮らないこと即ち「愛敬」を具体的な実践として説いているのだとされる。

その他にみられる代表的な違いとして「先知後行(せんちこうこう)」と「知行合一(ちこうごういつ)」という言葉があげられる。
「先知後行」は朱子学の言葉であり、先にも触れた理気二元論のことを言う。
人の「知(知識・学問)」と「行(行動・実践)」の関係は、あくまで知が先にあり、行動はその後に為されるものとし、「知」と「行」は一致しない全くの別物という二元論のスタンスをとっている。
それに対し、陽明学の「知行合一」はその字の通り、知行を分けることはできず、一体の連続したものであるとした考え方を持っている。
「知行合一とは?」と弟子に問われ、「知って行なわざるは未だこれ知らざるなり」と王陽明が答えたのも、「どれほど知識があっても、行動が伴なわなければその知識は無駄である」ということを示しているからである。
知識の取得に根ざした朱子学と、知識を実際に使うことでよしとした陽明学には、このような違いもあります。
日本では、最終的には陽明学が力を得ていた。

そもそも儒学の目的は、聖人になることであり、 そこへ至る方法論が展開されている。
 
その聖人へ至る方法論が朱子学と、 陽明学では異なる。
 
朱子学の方法論は「格物窮理」と表現され、陽明学では「心即理」と表現される。
 
「格物窮理」とは、誤解を恐れず言えば、 しっかりと勉強しなさい、本を読み、偉人に学び、しっかり知識を身につけ、 それを探求し続けていくことで、聖人に近づいていけるということであるが、ともすれば学問だけで終わる。
一方、王陽明は言う、自分の心を覗いて見よ、学ばなくとも人として何をすれば良いか?
何が正しいかは知っていよう。
 
誰にもバレないように悪いことをしたとしても、胸が痛むだろう。それは何が良いことで、
悪いことかをちゃんと知っているからだ。
 
人は学ばずともちゃんと知っている。 自分の中に初めから聖人たる心が備わっているんだ、とする。
 
要は、その心に忠実に生けていけば良い。そうすればちゃんと聖人になれる。
王陽明が生きた明の末期、中国史上、一番政治が腐敗していた。
賄賂は溢れ、役人は自己保身に走った。
 
陽明学が流行した幕末の日本も、社会不安は広がり、政府はだらしなかった。
その政府の役人は朱子学を学んでいた。
勉強嫌いの下級武士たちは、実学に結びつく陽明学に心を奪われていった。
そして、そのエネルギーが、新しい時代となる明治維新に結びついた。

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