2019年4月8日月曜日

分っていても指摘しないことの不思議


最近、天下のNHKが、事実とかなり乖離した報道番組を特集し、日本の女子中高生の間に新大久保の韓国人街が人気だと放送して、多くの人たちから批判を浴びているのだという。
それはそうだろう。韓流ブームを煽っていた時代ならともかく、歴史を捏造した時代劇ドラマはたちまちのうちにその嘘がバレ、人気は下落した。
当時の新大久保あたりは人手で賑わっていたが、仲良くすることを選ばず、反日の言動を繰り返していたのでは嫌われるのが当然である。
人が寄り付かなくなって商売は低迷し、今では中近東出身者の人たちの店にとってかわられているのではないのか?東京に住んでそれらを知っている人たちを騙すことはできない。

少し前の民放の番組であったが、I氏がひな壇芸人たちを前にして韓国の解説をしていた。
日本海を東海だと言い張ることや徴用工の問題には、一見批判的なように見えたが、巧妙にさらっと流した中に、本音が垣間見える場面があった。
反日教育が浸透していて、国家公務員の採用試験問題に触れたフリップに、それが窺える。

問:1930年以降、日本の民族抹殺統治の内容に該当しないものはどれか?(2002年国家職)
1.私たちの姓名を日本式に直すように強要した。
2.学校で、私たちの言葉と私たちの文字の教育を禁止した。
3.内鮮一体、日鮮同祖論、皇国臣民化を主張した。
4.学校教育にも制服を着させ、刀を差させた。

答:4が該当しない。
他の条項はさもさも該当していたかのように印象付けして終わりにしていたが、冗談言っちゃあいけません。全て該当しないとするのが正解である。

創氏改名は、必要があって日本名を名乗りたければ名乗っても宜しいとした制度であって、強制もしなければ罰則もなかったことは明らかになっている。
朝鮮人の識字率は当時4パーセント。余りの教育制度の低さに、朝鮮では諺文と呼ばれて蔑まれて使われてもいなかったハングル文字を、日本が発掘してきて教育に役立てたのである。
李氏朝鮮王朝で虐げられていた者たちを、これからは皇国の臣民として共に栄えていこうとしどうしたのであって、それによって奴婢の身分から脱却できた者が大多数であった。

幼少時より反日のために捏造教育を刷り込み続けていたら、日韓が仲良くなれるわけがない。
事実がどうであったかを知るということに注意喚起を促すのも、報道の姿勢ではないのか。

日本側に、どうしても半島からの文化により日本が成り立ってきたのだと思い込ませたい勢力というのがあるらしい。
そもそも文化というのは、どこかからやって来たものが定着してできあがるものではない。
良い所を互いの交流があることで、もともとあったものと融合させて高めあうことで発展する。
誇るものがないと起源説を唱えることになるのだろうが、そういうものは自己満足のてだてともならない。
自分の主張することに譲歩することがないのは、それが自分の意見ではなく、誰かの意見の受け売りであることが多い。それらに毒されるのは少しばかり情けない。
何かを発展させるためには、努力に裏打ちされた民度が培われることなくしては叶わないのである。われわれは、思惑を持った人たちの意見に惑わされることなく判断できる教育程度を既にもっているのである。

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