2018年9月10日月曜日

縄文遺跡が数多いことから

日本文明はシナ文明から枝分かれした「衛星文明」だと教えられてきたが、どうも違うのではなかろうか。それだけではないように思える。
発掘された遺跡や、縄文人のDNAなどを科学的に研究すると、日本文明は一個の独立した文明であるという見方が、優勢になっています。
人種の分類も、大陸や半島経由ということではなさそうだし、それより前から発展していた文明の証拠が次々にでているのである。

日本列島に日本人類の文化が芽生えたのは、35000年前である。
後期旧石器時代の初めに、局部磨製石斧が出現しました。
これは、刃先を磨いた石斧で、狩猟や伐採などに使われていたのだとされる。
日本で見つかった磨製石器は、世界最古のものであり、群馬県の岩宿遺跡から最初に発見されて以来、全国100以上の遺跡で見つかっている。
打製石器ということになると、3万年前のものまで出土しているのだという。

続いて、縄文土器の出現によりいわゆる縄文時代が始まります。これは、縄文時代というより縄文文明と呼んだ方が良いと主張する人もいる。
日本で土器が出現して縄文時代が始まったのが、17000年前です。
これは、単なる盛り付け用ではなく、汁物の煮炊きや液体の貯蔵に使われました。
青森県の大平山元Ⅰ遺跡で出土した土器は、炭素測定法などにより世界最古級のものであり、
人類で最初期に調理をしていたことがわかるのだとされている。
この土器が発表されるとすぐに、中国でそれより古い年代のものが発掘されたと発表された。
日本は、どちらが古いかなどということで争うことはしなし、K国のように起源説を唱えるような愚かなことは決してしない。
日本の学者はその発見を喜び、年代測定などで是非共同研究をしたいと申し入れたのだが、その土器は盗難にあったとやらで欠片も残っていないとして中国側から断られてしまったという。
現物は存在しないということになる。

縄文都市が営まれたのが、5900年前から4300年前の1600年間だというが、縄文文化は1万6千年前にはそんざいしていたという。
栗の木を計画的に植林したり、協力して大規模な建物を建築したり、漆を既に使っていた。
住居の跡は、3000棟以上になると推定され、大規模な墓地もつくられているから、精神活動というのも発達していたということになる。
これらは、青森県の三内丸山遺跡の大規模集落跡やその他の縄文遺跡からわかりました。

富士山を意識した配石遺構がつくられたのが、4000年前です。
静岡県の千居遺跡から、東北にそびえる富士山を神聖視していたことがわかる。万物を神と捉えるアニミズムの原点がみられるのだという。
自然崇拝と先祖崇拝が融合して、現在の神道につながるのだと思われる。
何故か使われなくなってしまった神代文字やヒエログリフの発見も多いから、研究が進めばいろいろ明確になってきて、今まで教わってきた日本の歴史は書き換わるかも知れない。
起源説を主張したり、日本人の優位性を唱えることに結びつくようなことは民度的に見てもありえない。


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