2018年9月15日土曜日

「我」が出ているうちは

名人・達人と言われる人は、決して無駄な動きをしないものなのだと感じる。
それでいて、その所作は美しい。
古典とか伝統とか何百年過ぎても生き残っているものには、それだけのわけがある。
その領域に携わり修行する人たちは、その神髄を究めようと日々研鑽努力しているうちに、いつの間にか名人・達人と言われる域にたっするのだと信じている。

ただ、一定の段階には到達したのであろうと思われる人たちが、勘違いしてしまっているのではないかと思えて仕方ないものがある。
例えば楽器を演奏している人たちがよくしがちな変な身振りや顔つきである。
その本人の解釈かどうかは知らないが、それは自己満足なのか或いは自分を見せようとしているかのどちらかとしか思えないことが多い。
なぜそう思うのかというと、それらの動きが美しいと感じられないからである。
違うだろう、と感じさせられてしまうのである。
「我」を押し付けられても、共感は得られないということである。


0 件のコメント:

コメントを投稿