2018年9月7日金曜日

パワハラはどこにでもあるが

最近取り上げられている話題はパワハラ問題ばかりである。TVのチャンネルを捻ると、どこの番組でも(殊にバラエティー番組)それ一色で、寄ってたかって槍玉にあげられた人を責め立てている。
言われるようなパワハラはあったのかも知れないし、無かったのかも知れない。
多分、捉えられ方の違いはあっても、それはあったのだと思う。
何故そう思うかといえば、パワハラなどというのは日常生活の中に満ち溢れていて、それを経験したことが無い人というのは皆無だと思うからである。
殊にサービス業に従事している人であれば、ゆえないクレームだって我慢せざるを得ない。
だからといって、それは有り得ることとして、パワハラを見逃せというのではない。直接的な暴力は大目に見ようとしているようだが、それだって見逃していいわけではない。

基本的には実力がなかったり、立場が弱いからパワハラを受けるということになるが、多くの人は「今に見ていろ」ということで、実力をつけるためのエネルギーに転換してそれを乗り越える。
それらが全てうまくいくとは限らず、力及ばず涙を呑む結果で終わることは有り得るが、目指すものが真剣であれば、たゆまず努力して、結果を残すこともまた多いのだと思う。

立場が上になれた人は、それだけの努力をした結果だとは思うが、それだけに、力や権力の振い方には配慮が求められるのだと思う。
一旦問題を提起され標的になったら、そこから逃れることは極めて困難になる。

ただ、それを標的として取り上げる側に問題点はないのか?ということについては、常々疑問を禁じ得ないことが多い。
正義の味方を気取るのかどうかしらないが、日夜構わず追いかけまわし取材する記者たちの言動は、全て許されていいのであろうか?極めて乱暴な語調の質問を浴びせかけているのが度々放映されている。
これこそパワハラそのものなのではないのか?と思えてならないが、それらが改善される気配はない。
番組にはその業界にさして詳しいわけではなさそうな門外漢を連れてきて意見を言わせてさえいる。
そこには「同調圧力」としか思えない力が働いているのか、大抵は責める側の意見ばかりとなっている。イジメの構造とどうしても重なって見えてしまう。
実情がわからないままものを言うのは避けた方が賢明だと思えてならない。


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