2018年9月23日日曜日

卒業して60年の経験は伊達ではない

喜寿を迎えたことを機に、中学校時代の同級生が郷里に集まって同級会を催しました。
ふるさとを遠く離れている者たちが20人ほど参加しました。
こういう会に来られる人たちは皆それなりに幸せなのだと感じる。

近況報告をかねて一人一人が短いスピーチをしたのだけれど、共通していたことは、それぞれが経験してきた幾多の困難を、得難い経験をさせて貰ったと感謝していると語った事。
恨みがましいことを言った人は一人として居なかった。
綺麗ごとで言っているのではないことは、この年になれば誰にでも即座に判る。顔や口調が穏やかで明るいし、乗り越えて昇華していることが心底信じられた。

あとに続いた宴会で、傍らに来た女性が朗らかに語ってくれた。
昔のことだから、結婚は見合いが普通だった。あるとき何かの会合で一緒になった紳士が、「私は貴女と結婚することになっていたのだけれど、縁がそうなっていなかった。今なら結婚できる。」との話しがなされたという。
「貰ってくれるとわかっていたら、もうちょっと綺麗に磨いておいたんだけど、3人ほど紹介するんで、私は4号か5号ということでないと・・・」と応えて、お互いが大笑いしたのだと。
伊達に年を重ねていない。会話が相手に心地よいものを残すことができる域に届いているようである。とにかく一人一人の話は笑い話になってしまうのであった。

次は80歳になったら、一人も欠けることなくまた集まろうと約束してお開きとなりました。
80歳どころか100歳まで大丈夫なんじゃないかと思えるほどに盛り上がった楽しい会でした。

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