2018年10月10日水曜日

師匠と先生は違う

学ぶ側の姿勢が甘くなってきていると感じる。自分のことなのに、お膳立てをしてもらわないと動けない世の中になってしまったのかも知れない。
見て覚えろと言う世界は理解し難くなったのか、手取り足取り懇切丁寧に教えて貰えないと、長続きしない。
それでも師匠というのは、自分を越える弟子を育て上げることができるのが、優れた師匠だと言われる。

教えると教わるの関係では、師匠と弟子、先生と生徒というのがある。
同じようでいて、その関係は大きく違います。

師というものは、基本的には何かを「教える」というわけではない。いうなれば、自分が知っていることを「伝える」だけなのである。従って特定のプログラムを持っているわけではないことが殆どである。伝統的な方法は「見て覚えろ」であり、言葉では説明できない領域のことを修めた者ということになる。

手取り足取り親切に教えるということではないから、師と弟子には当然のことながら、相性ということも大切となる。
弟子が何を身につけたいかが明確になっていないと、いかに時間を費やしても技能や精神に進歩は得られない。あくまで弟子の主体性と自覚にかかっている。
教えを乞うという姿勢がなくては適わぬことは勿論である。

師は、その弟子の個性や進捗程度に合わせて、迷ったり行き詰っているのを見定め、時にヒントを与えるだけしかできない。そういう世界なのである。
ですから、師にとっての最大の喜びは、弟子が自分を超えることです。
(この師弟関係は、家元制度のようなものとは趣を異にする。その制度の下では、弟子の創意工夫は否定されることが多いからである。形式を破ることは許されない。)

先生と生徒の関係は、一定のカリキュラムに依ることが殆どである。
到達させるべき習熟度というのがあるから、先生には教える技術というのが要求される。
テストで点数がとれ、試験に合格できれば良いとすることに走り過ぎると、人間的には尊敬されない。生徒の人格形成に関わることができなければ、恩師と慕われることとは無縁となる。
頑張っている先生がいることは疑わないが、昔の先生には、生徒を「薫陶する」という理想を持った先生が多かったように感じる。


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