2018年10月7日日曜日

正義の無い戦争というならば

中学校時代に学んだ歴史に阿片戦争というのがあった。
極めてサラットしか触れられなかったが、その後に実態を知るに及んで考えると、それはイギリスによる鬼畜のような所業であったとしか思えない。どこをもって紳士の国だと言うのだろうか?
「アヘン」は2018年現在もメジャーな麻薬のひとつであるが、特に19世紀は、「麻薬といえばアヘン」というほど、国によっては広く流通していて、一度摂取するとその中毒性からもたらされる害悪が垂れ流しであった。
その当時の清では、イギリスから密輸されたアヘンのせいで中毒者が増加し、社会問題となっており、その中毒は常習性を伴うことから、中国国内では隠れてアヘンを吸うための「アヘン窟」という施設が農村部にまで多く存在していた。
清国大臣の一人であった林則徐がこれを重く見て、はびこっていたアヘンの取り締まりを徹底的に行ったことから、イギリスの怒りを買うことになった。
それは無法なことこの上ない戦いに結びつき、旧式の装備しか持たない清は、当時最強と呼ばれていたイギリス海軍に惨敗。「南京条約」を締結することになった。
とにかくその原因というのは無茶苦茶な話である。
イギリスは、東洋から紅茶と絹を買い入れていたが、その費用が膨大で、金を払いたくなかった。そこで、インドから密輸したアヘンを中国で密売し、巨額の富を得ることでそれを賄うことにし、自国で生産した織物をインドに売り、インドに作らせたアヘンを清へ売り、清からは茶葉を買うという「三角貿易」といわれるシステムを考え出した。
この取引は銀でおこなわれており、少しでも銀の流出をカバーしようと、アヘンを密売していたのである。
アヘン戦争が起こった直接の原因は、林則徐の厳格なまでの取り締まりである。販売していた者を容赦なく処罰し、発見したアヘンは焼却処分をしたうえに、その灰に石灰を撒いて毒性や臭いを消すなど徹底していた。
それだけではなく、アヘンをもたらしたイギリス人も容赦なく締め出した。麻薬を撲滅しようというのは、国としてとうぜんである。
これに権益を侵されたとして猛反発し、武力報復をしようとしたのがイギリスであった。
イギリスからしてみれば、商品を燃やされたうえに、清からの違法権益がなくなるということであるから重大である。イギリス議会では、アヘン密輸よりも中国から締め出されたことがクローズアップされて問題視され、中国への軍事報復が決定された。
その結果は、イギリスとは不平等条約である南京条約を、この流れにつけこんだアメリカとは望厦(ぼうか)条約、フランスとは黄埔(こうほ)条約をそれぞれ締結することに繋がった。
日清戦争以来、それらの権益に割って入ってきそうな日本は、目の上のたん瘤であったに違いない。
不思議なことに中国は、このベラボーな阿片戦争について一言も文句を付けていない。
それなのに、毛沢東でさえ触れなかった事実に反する南京事件というのを持ち出して、日本へのカードとして使う。
その事実関係は、検証をまつまでもなくかなり怪しい。20万都市であった南京の死者が30万人であったと大騒ぎをしているのである。
広島に投下された原子爆弾だって、その死者は20万人である。どだい無理な作り話ということになるが、その点を衝かれると、死者の数が問題ではないと言い逃れて、本当の歴史はどうだったのかという共同研究すらも拒むのである。ばれることを恐れているとしか言えまい。
国内事情の都合で、反日で目を逸らせたいのだとしか思えないのである。


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