2018年12月15日土曜日

ご先祖様は熊?

神話がそのまま史実であるとはならないにしても、民族の祖先が神から繋がっているとする国は多い。それがその民族の心の豊かさを育てる
日本の神話もそうであるが、それらは民族の意識の根底にあって誇りの源泉となっている。

隣国朝鮮の神話というのが面白い。
正妻の子でない庶子というのを、どんなに才能があっても軽視する国かと思っていたが、おおもとの先祖は庶子なのだという。
太古の昔、桓因(ファンイン)という天帝の庶子に桓雄(ファンウン)がいた。
桓雄が常に天下の人間世界に深い関心をもっていたので、天符印三筒を与えて天降りさせ、人間世界を治めさせた。
 部下3000人を率いた桓雄は、
太伯山(テベクサン)上の神壇樹(シンダンス)に下りて、神市(シンシ)とした。かれは風伯、雨師、雲師をしたがえて穀・命・病・刑・善・悪をつかさどり、人間の360余事を治めさせた。
 
このとき一匹の熊と一匹の虎が洞窟で同居していて、人間に化生することを念願していた。
桓雄は一把のヨモギと20個のニンニクを与えて、100日間日光を見ないようにすることができれば、人間になることができると告げた。
熊は日光を避けること37日目に熊女(ウンニョ)になったが、虎はその物忌みができず人間になれなかった。
 桓雄は人間に化身した熊女と結ばれ、檀君王倹
(タングンワンゴム)を産んだ。
 これがダンクン神話である。すなわち、先祖は熊女なのだという。
檀君は中国の堯帝が即位して50年目の庚寅の年に、平壤を都として朝鮮と呼んだ。
のちに都を白岳山の阿斯達(アサダル)に移して、1500年間も国を治めた。

資料となっている代表的な書物は、「三国志記」(12世紀編纂)や「三国遺事」(13世紀編纂)。三国というのは、朝鮮半島で長らくせめぎあっていた高句麗・百済・新羅の三国のこと。ほかにも「魏書」や「東文選」「高麗史」などの文献がある。これらの書物は儒教学者によって記されたため、基本的に女性の地位は低く、合理主義のため創世神話などが省かれている。まあぶっちゃけた話「やたらと真面目で遊びにくい」。(人様の国の神話で遊ぼうとするのが問題なのだが…)
 歴史的に、三つの国の並立が長く続いていたため、統一されておらず、様々な伝承形態が入り交じっている。

『三国史記』(さんごくしき)は、高麗17仁宗の命を受けて金富軾らが作成した、三国時代新羅高句麗百済)から統一新羅末期までを対象とする紀伝体歴史書朝鮮半島に現存する最古の歴史書である。1143執筆開始、1145完成、全50巻。
本紀にはまず新羅を記し、それぞれの建国神話における建国年次の順にあわせて高句麗・百済の順としている。年表は干支、中国の王朝・新羅・高句麗・百済の四者についての一覧形式を採っている。
列伝の最初には新羅による三国統一の功労者である金庾信に三巻を費やしており、次いで高句麗の乙支文徳を配し、最終巻には後高句麗弓裔百済甄萱とするなど、時代・国についての特別な配置の整理は行なわれていない。金庾信列伝では、金庾信はの祖先は黄帝の子の少昊金天氏の子孫とする[註釈 1]。また、複数人を扱う列伝についての要約的な名付け(『史記』における儒林列伝、酷吏列伝など)は施されていない。
朝鮮半島の地名研究の根本史料でもある。

上記は偶々ウイキペディアで見つけたものであるが、日本の歴史家も朝鮮史を研究するのをあまり好まないのだという。日本の支配が半島に及んでいたことが明らかになるのは嬉しくないらしい。
中国の歴史書などによると、朝鮮の、殊に南部は日本の領土であったと記述されているのだというが、信憑性が高いらしいからである。
朝鮮の歴史家であれば、古代の朝鮮が日本の支配下にあったと知ることはもっと好まないであろうから、これが広まることはなさそうである。何より漢字を捨ててハングル文字にしてしまったから、古文書を読むことができなくなっていることも、研究者を少なくしている。
それよりも半万年の歴史があると妄信し、何にでも起源説を唱えている方が民衆に喜ばれる。


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