2018年12月1日土曜日

見境がつかなくなった?


北朝鮮としては、北が南を統一しようとする思惑から言っても、日本と韓国が友好関係を築くのは非常に都合が悪い。
そんなことは誰にでも解ることである。
だから日韓が離間するように、スパイや親北・従北の人材を育て、韓国内に潜り込ませたことは、想像するまでもなく現実実を帯びていることが、最近顕著にみられるようになった。

感情的に煽られることに弱い民族性を持つ韓国は、ものの見事に北朝鮮の策に嵌り、後先を考えることもできずに、次々非常識とも思える日本攻撃を繰り返すようになった。
それは限度を越え、韓国が条約無視などの国際法を犯してまで日本を攻撃することに励むようになってしまっていることに気づくこともできない。
そうしてしておきながら、あまりの無法な要求に日本側が反応すると、恥ずかしげもなく、自国ではなく日本側に自制を求める始末。
いうなれば、何をやられても日本が我慢しろ! というのである。何故なら、自分たちは被害者?だからだというのである。
事実と反する言いがかりをつけたり殴り掛かったりした側が、臆面もなくそれを平気で口にできる人間性には恐れ入る。国を代表する国会議員がそれをして恥じないというのでは、こちらが何を言っても糠に釘、対処の方法がない。

根拠を説明することができないから、日本が何か言うと、それを「妄言」と一括りにして騒ぎ立て、声が大きければ勝ちだとでもいうように振舞って、自国内で受けを狙ったような、それこそ自らが「妄言」を口にする。
日本が言うことに妄言だというのであれば、どこがどう妄言なのか説明しなければならないのに、それをすることはできない。それを証拠立てて説明することが全くできない。

当然である。根拠もなく、自分が自分に都合が良いように思い込んでいるだけのことでは、説得力は皆無であるから、論理ではなく感情を優先させるしかない。
惨めな歴史の連続だったとの自覚はあるから、嘘でも、本当はこうあるべきであった、ということにしてしまう儒教の毒に染まり、歴史を捏造してまでそれにしがみ付こうとする。
証拠なぞなくても、自分たちの気に入るようなものが真実となるのだというのが国民性。
儒教発祥の地である中国にだってそんなことはない。
もっとも、孔子韓国人説を唱えるくらいだから、そんなことは意に介さない。

彼らが、自分の足元を見つめなおそうとすることは、今となっては彼らにとっても命がけとなってしまった。親日のレッテルを貼られたら生きていけない。
もはや、将来志向などということは口先だけのことで、真剣に自国の将来を考えることは不可能になってしまったように感じさせられる。

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