第二次世界大戦が終わってから70年余を過ぎるが、いまだに戦争責任を言い立てる国或いは人がいる。日本人の中にでさえも外国に対しての戦後処理が不十分だったのではないかと言う人がいるが、果たしてそうなのだろうか?
日本は可能な限りの犠牲を払って戦後処理をしていることをどこまで知っていてそれをいっているのだろう?
それ等の賠償も日本が考えた内容ではなく、相手国が決めた理不尽なものでも受け入れ、これまでそれに対応してきたのである。
一億総懺悔の思想を定着させ、日本をいつまででもキャッシングマシーンにしておきたいと考えている人がいるのかもしれないが、それでは正常な関係は築けない。
国際常識に照らして最初に確認しておきたいが、戦争そのものが悪だという事は歴史上はなかった筈だし、どんな戦争でも永遠に償うということはあり得ない。そんなことをすれば、第一次大戦の後のドイツのような道に進みかねまい。
少なくとも国と国の関係では、何らかの条約を結ぶことでそれは解消されて、国交正常化が成り立つ。
日本は、戦後賠償をいかなる国にも劣らず誠実に果たしてきことに間違いはない。
賠償交渉といっても、敗戦後のことで日本には全く力がなかったから、相手の要求するままという事も多かったと思われる。悪い表現を使えば、彼らの言うがまま毟り取られたと言えるかもしれないのである。
永世中立国であるはずのスイスや、同盟国だったはずのイタリアまで賠償を要求し、それを受け取っているのである。
ギリシャ・アルゼンチンなど、首を傾げたくなるような国もある。
日本は一体いつ、ギリシャやスイスと戦争したというのだろう?
これ以外にも、総額3794億9900万円(1945年当時)の日本の政府・民間の在外資産はすべて没収されている。
特に朝鮮半島・満州の資産は莫大な金額になる。ざっと試算しただけでも10数兆円を超すであろう。
これら在外資産の没収は、少なくとも民間資産に関しては国際法違反である。
*私的資産の没収は、国際法で厳禁されているのであり(陸戦法規46条)、中立国にある公的・私的資産はいずれも没収厳禁であったはずである。
※現中国にはODAという形で、2003年度末までで、円借款:約3兆472億円、無償資金協力:約1416億円、技術協力:約1446億円を行っている。中国人民が知らされていないのは当然として、日本人も、そこから目をそらされてきた。
金員だけでなく、戦後処理の中で多くの人たちが命や人生を失った。
日本人なのにそれを諾諾と受け入れて当然としているが、果たしてそれらのすべてが正当な裁判によるものだったかどうかは、かなり疑わしい。
戦犯容疑による逮捕者は1万名をはるかに超え、1,000名以上が軍事裁判の結果、死刑に処された。手続きを踏まない処刑に至っては、まったく分かっていない。
その他にも、1948年5月までに20万人以上が職を追放されているのだという。
これは、閣僚や公務員だけでなく、民間企業にも及び、映画監督や作家なども追放されている。
我々日本人は、文句をいうこともできず、莫大な資産と金銭、そして人命をかけて戦後処理を行ってきたのである。
これは、今までのどの敗戦国よりも誠実において勝る。
戦争の理非を今更言い立てても仕方がない。少なくとも、この戦後に果たしてきた事実を、教育や報道の場で伝えて欲しいと思う。日本人の誇りの問題につながる。
因みに賠償について列記すると、以下のようになる。
ビルマとの賠償・経済協力協定賠償20,000万ドル(720億円)。借款5,000万ドル(180億円)。
スイスとの請求権解決に関する取極(1955年1月21日/1955年3月26日)。無償供与1225万フラン。在スイス資産242万フラン強。
タイとの特別円協定(1955年7月9日/1955年8月5日)。清算金54億円。無償供与96億円[4]。
オランダとの私的請求権解決に関する議定書(1956年3月13日/1956年6月1日)。損害賠償請求権1000万ドル(36億円)。
フィリピンとの賠償協定(1956年5月9日/1956年7月23日)。賠償55,000ドル(1980億円)。 同5千万ドル分に関する交換公文。
フィリピンとの経済開発借款取極。借款25,000万ドル(900億円)。
スペインとの請求権解決に関する取極(1957年1月8日/即日発効)。無償供与550万ドル。
スイスとの請求権解決に関する取極(1955年1月21日/1955年3月26日)。無償供与1225万フラン。在スイス資産242万フラン強。
タイとの特別円協定(1955年7月9日/1955年8月5日)。清算金54億円。無償供与96億円[4]。
オランダとの私的請求権解決に関する議定書(1956年3月13日/1956年6月1日)。損害賠償請求権1000万ドル(36億円)。
フィリピンとの賠償協定(1956年5月9日/1956年7月23日)。賠償55,000ドル(1980億円)。 同5千万ドル分に関する交換公文。
フィリピンとの経済開発借款取極。借款25,000万ドル(900億円)。
スペインとの請求権解決に関する取極(1957年1月8日/即日発効)。無償供与550万ドル。
フランスとの特別円議定書(1957年3月27日/即日発効)。無償供与15億円&479,651ドル。
スウェーデンとの請求権解決に関する取極(1957年9月20日/1958年5月2日)。無償供与725万クラウン。
インドネシアとの賠償協定。賠償23,308万ドル(803億880万円)。
インドネシアとの旧清算勘定等残高処理に関する議定書。無償供与17,691万ドル(636億8760万円)。
インドネシアとの経済開発借款取極。借款40,000万ドル(1440億円)。
カンボディアとの経済・技術協力協定(1959年3月2日/1959年7月6日)。賠償15億円。
スウェーデンとの請求権解決に関する取極(1957年9月20日/1958年5月2日)。無償供与725万クラウン。
インドネシアとの賠償協定。賠償23,308万ドル(803億880万円)。
インドネシアとの旧清算勘定等残高処理に関する議定書。無償供与17,691万ドル(636億8760万円)。
インドネシアとの経済開発借款取極。借款40,000万ドル(1440億円)。
カンボディアとの経済・技術協力協定(1959年3月2日/1959年7月6日)。賠償15億円。
ヴェトナムとの賠償協定(1959年5月13日/1960年1月12日)。賠償3,900万ドル(140億4000万円)。
ヴェトナムとの借款協定。借款750万ドル(27億円)。
ヴェトナムとの経済開発借款取極。借款910万ドル(32億円7600万円)[15]。
デンマークとの請求権解決に関する取極(1959年5月25日/即日発効)。無償供与117万5000ドル。
英国との請求権解決に関する取極/交換公文(1960年10月7日/即日発効)。無償供与50万ポンド。
カナダとの請求権解決に関する取極(1961年9月5日/即日発効)。無償供与17,500ドル。
ビルマとの経済・技術協力協定(1963年3月29日/1953年10月25日)。無償供与14,000万ドル(504億円)。
ヴェトナムとの借款協定。借款750万ドル(27億円)。
ヴェトナムとの経済開発借款取極。借款910万ドル(32億円7600万円)[15]。
デンマークとの請求権解決に関する取極(1959年5月25日/即日発効)。無償供与117万5000ドル。
英国との請求権解決に関する取極/交換公文(1960年10月7日/即日発効)。無償供与50万ポンド。
カナダとの請求権解決に関する取極(1961年9月5日/即日発効)。無償供与17,500ドル。
ビルマとの経済・技術協力協定(1963年3月29日/1953年10月25日)。無償供与14,000万ドル(504億円)。
ビルマとの経済開発借款取極 。借款3,000万ドル(108億円)。
インドとの請求権解決に関する取極(1963年12月14日/即日発効)。無償供与900万円。
財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(1965年6月22日/1965年12月18日)。
無償供与3億ドル(1080億円)。借款2億ドル(720億円)。
韓国との民間信用供与に関する交換公文。民間借款3億ドル超。
ギリシャとの請求権解決に関する取極(1966年9月20日/即日発効)。無償供与161,763ドル。
オーストリアとの請求権解決に関する取極(1966年11月29日/即日発効)。無償供与16,700ドル。
インドとの請求権解決に関する取極(1963年12月14日/即日発効)。無償供与900万円。
財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(1965年6月22日/1965年12月18日)。
無償供与3億ドル(1080億円)。借款2億ドル(720億円)。
韓国との民間信用供与に関する交換公文。民間借款3億ドル超。
ギリシャとの請求権解決に関する取極(1966年9月20日/即日発効)。無償供与161,763ドル。
オーストリアとの請求権解決に関する取極(1966年11月29日/即日発効)。無償供与16,700ドル。
マレイシアとの1967年9月21日の協定(1967年9月21日/1958年5月7)。無償供与2500万マレイシア・ドル(29億4000万3000円)。
シンガポールとの1967年9月21日の協定(1967年9月21日/1968年5月7日)。無償供与2500万シンガポール・ドル(29億4000万3000円)。
米国とのミクロネシア協定(1969年4月18日/1969年7月7日)。無償供与500万ドル(18億円)。
イタリア(1972年7月18/即日発効)。無償供与120万ドル。
北ヴェトナムと1975年10月11日/即日発効)。無償供与85億円。
ヴェトナム1976年9月14日/即日発効)。無償供与50億円。
シンガポールとの1967年9月21日の協定(1967年9月21日/1968年5月7日)。無償供与2500万シンガポール・ドル(29億4000万3000円)。
米国とのミクロネシア協定(1969年4月18日/1969年7月7日)。無償供与500万ドル(18億円)。
イタリア(1972年7月18/即日発効)。無償供与120万ドル。
北ヴェトナムと1975年10月11日/即日発効)。無償供与85億円。
ヴェトナム1976年9月14日/即日発効)。無償供与50億円。
モンゴル(1977年3月17日/1977年8月25日)。贈与50億円。
アルゼンチン(1977年6月10日/即日発効)。無償供与27万ドル。
アルゼンチン(1977年6月10日/即日発効)。無償供与27万ドル。
実はこれだけで終わりではない。
たとえば著作権法では、戦時加算というものがあって、日本では海外著作物の権利は10年間追加されている。
つまり、戦争中は著作権を守ってなかっただろうということからであるが、でも10年も戦争していたわけではない。その理屈をいうのなら戦勝国だって同じことのはずである。
つまり、戦争中は著作権を守ってなかっただろうということからであるが、でも10年も戦争していたわけではない。その理屈をいうのなら戦勝国だって同じことのはずである。
日本人が血を流し、搾り出した戦後処理を、より多くの人が常識として知るくらいは知っているべきであろうと思います。
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