2019年1月14日月曜日

常に被害者のポジションを取りたがる


日本が遣隋使や遣唐使を遣わして中国から文化を導入したことはよく知られている。危険を冒して船で海を渡ったのであるから、事故に遭って帰れなくなったことが多かったことは容易に想像される。
船で直接中国大陸に渡る方法と、朝鮮半島を経由する方法があったが、朝鮮半島を経由するには、そこに住むワイ族からの襲撃の危険が大きかった。
危険を冒してまで導入する文化ということにはならなくなったことが、遣唐使を廃止する理由の一つとなったと思われる。
朝鮮半島の住人だからといって、十把一絡げに悪だとかダメだとかいう気はさらさらないが、そういう時代だったのは確かであろう。
日本民族が朝鮮半島からの渡来人だという説があるが、基本的にはDNAからの解析によると、全く違うのだということが判ってきている。
朝鮮人と日本人は、よく似ているといわれるが、もともと朝鮮半島の南半分は、今の九州、四国、本州同様、倭国そのものであったのであり、隣国であったというのは当たらない。朝鮮の北半分の百済、新羅も日本への朝貢国であって、特に新羅なぞは、わざわざ日本人を国王に迎えて、「自分たちの王朝は日本人の血を引いている」ということが新羅王朝の正統性だった。
当時は、倭人たちの流れを引く国であったから、民がタカラであるという大和の考えの下、皆殺しをするようなこともせず、そこにいた倭人も百済人も、そのまま新羅人に組み込んでいた。
しかし、日本が半島から手を引いた後がよくなかった。
新羅も裏切り国であるが、その後の高麗王朝も、李王朝も、自国を裏切り、支那に擦り寄ることで自分たちの王朝を築き、支那方式に倣って反対派を残らず粛清し、暴力をもって自国民の言論も教育も生活も完全に虐げる体制を敷いたのが半島の歴史である。民はヒトモドキやケモノとして扱われ続けたのである。
日韓併合までの李氏朝鮮は、国民の過半数が奴婢(奴隷)階級で、家畜に等しい扱いであった。
だから韓国には、支配層の王朝の歴史はあっても、民衆の歴史はない。
それに比べ日本人は、天皇の存在のありがたさによって、民衆がヒトどころか「たからもの」として扱われてきたことは古事記等によりあきらかである。
朝鮮は長きにわたって悲惨な歴史だったから、歴史を捏造する。やむを得ぬことかも知れないが、これは人としては最低のことであろう。事実は事実として出発しないと正しい発展はできない。

朝鮮半島が歴史上に最初に公的文書に登場するのは、衛氏朝鮮(えいしちょうせん)である。衛氏朝鮮というのは、紀元前195年頃に遼東半島のあたりにいた者たちのことで、国ではなく、いうなれば盗賊集団であった。差別で言うのではなく、それが公式史書に記載された史実である。
歴史に最初に登場するのが国や民族の祖先としての神々ではなくて「強盗団として」というのも酷い話なのですが、彼ら自身が自慢する神話が檀君であって、これは強姦神話ですから、何とも言いようがない。
支那では、それ以前(紀元前403221)の時代がいわゆる戦国時代で、有名な魏、蜀、呉(楚)や趙、斉、燕、秦、韓、櫓、宋、周、などの諸国がまさに群雄割拠して争っていた。この中に「韓」という国がありますが、これは支那の内陸部にあった国で、チベット系の遊牧民族の国であり、朝鮮半島とは何の関係もない。
秦が支那を統一したとき、山東半島のあたりにあった燕(えん)では、国王が始皇帝によって、遼東半島のあたりに封じられたのであるが、秦が滅び、前漢が統一王朝を建てたとき、前の国守であった燕は滅ぼされてしまう。
これが紀元前202年のことで、このとき燕の末裔たちが、前漢に追われて朝鮮半島北部の遼東半島のあたりに住み着き、お家再興のためにと、盗賊団を形成した。これが前述した衛氏朝鮮(紀元前195~108)である。この盗賊団は、朝鮮半島を経由して漢と交易しようとする旅人を襲い、金品を奪ってお家の再興費に充てようとしていたというのである。
この当時の朝鮮半島中央部、つまり、いまの北朝鮮から韓国の北半分くらまでに棲みついていた部族は「濊(わい)」と呼ばれる種族だった。その濊族と前漢との間で国交を示す記録は、どこにもないのだという。
そもそも濊という文字からして異様である。
古代の支那は中華を自称し、周辺民族に対してろくな漢字を充てなかったが、例えば匈(きょう)は、凶悪、倭は背の低い(小さい)人たちなどのように、それなりにその民族の特徴を漢字一文字で上手に表してはいた。
ところが、濊というのは、糞尿のことであり、しかもその濊に、わざわざサンズイを充てている。どれだけ汚い不潔な民族だったのかということである。
不潔ということは、教養がなく、貧しいということと同等である。
教養も財力もなくて貧しければ、産物もない。産物がなければ、交易の必要もない。
ということは、衛氏朝鮮にしても濊族を襲ったところで、何の利益にもならなかったが、その双方が同一の半島に住していた。
衛氏朝鮮は「旅人」を襲ってお家再興の資金稼ぎをしていたと記録にあるのは事実である。
濊族は、旅人になどならないし、旅をする資力も理由もない。ただ生息して、食べ物を奪ったり、人を殺して食べていただけの、まるでケモノのような連中であった。つまり、濊族は、人を襲う大型の猿程度にしか認識されていなかったのである。衛氏朝鮮は、なんの得にもならない猿を襲っていたのであろうか?
前漢は、衛氏朝鮮に兵を差し向けて、結局これを滅ぼしているのであるが、何のために滅ぼしたのであろう。滅ぼすには滅ぼすだけの理由があって当然だが、兵を差し向けたということは、何らかの安全保障のための必要があったからであろう。
古代から中世まで、大陸及び半島に領土という概念はない。あったのは城塞都市国家であって、そのひとつひとつの城塞が「国」であった。
朝鮮半島には、北から遊牧民である女真族が少しずつ入植するようになるのであるが、広大な平野部が広がる大陸であれば遊牧が可能なわけです。
しかし樹々や森に覆われた朝鮮半島では、遊牧生活も規模の小さなものしか営めず、結果として、相当貧しい人たち(大陸に戻れなくなった遊牧族)が、そこにいただけのことであったのだと思われる。
ちなみに、糞尿を意味する「汚穢」の「穢」は「のぎへん」である。のぎへんというのは、穀物を意味する漢字で、これが「歳」とくっついて、毎年の穀物、これに「汚」の字がついて、穀物を育てるための肥料を意味する漢字になっている。
ことさらに貶めるつもりはないが、そこに住んでいたのはエベンキ族でありワイ族であったし、そこに王朝を建てて融合した民族はいずれも裏切りを常とした連中であったから、隣接する中国でさえそこを領有しようとはしなかった。
そもそも人としての本性が根本的に違っているのだと理解しないと、つきあう方法を間違える。
そういう歴史を知っているからこそ、福沢諭吉は朝鮮に関わることに反対したのであろう。
そんな哀れな状態に、明治にはいって、やっとのことで日本が支那と手を切らて独立させてやったのに、今度は日本を裏切ってロシアと組もうとしたり、朝鮮の独立だといって関東大震災で火付け盗賊を働いたりもした。
とにかく正義や人道が根本的に理解できない民度のままなのである。
「いまさえ良ければいい」「自分さえ儲かればよい」というその場しのぎの御都合主義と、大に仕えておこぼれに預かろうとする卑しさしかないところから脱却できていないということになる。
戦後、米国のお陰で独立できたが、彼らが独立のために戦ったという歴史事実はない。武装解除した日本の弱みをついて日本を攻めようと企んだ背後を北朝鮮に突かれて朝鮮戦争が勃発したが、韓国軍は武器を放り出して逃げ惑うだけで、自ら戦うことはできなかった。米軍が戦ってくれたおかげで38度線まで押し戻し、そこを境界線として停戦協定が結ばれたのが真実の歴史である。
その間に李承晩が殺した自国民を、日本軍の行為であったかのごとく教え込んでいるらしいが、そのころに日本軍は韓国に1兵もいなかったのだから、正常な神経があるなら、自国で教え込まれる歴史に疑問を持って不思議ないが、それすらできない体たらくである。
日本は韓国の独立を認めただけでなく、総額21兆円、国民ひとりあたり45万円という莫大な資産を朝鮮に寄贈してあげたのに、彼らはせっかく受け取ったその資産を、結局は朝鮮戦争という内乱で、全部使い果たしてしまった。
世界のトップクラスの富のある国から、彼らはたった3年で世界一の最貧民国に堕ちてしまったのである。
賠償金名目は流石の韓国も主張できず、経済援助金名目で時の韓国の数年分にも及ぶ膨大な金を支払って結んだ1965年の日韓基本条約さえ反故にして、日本に際限もなくたかろうとしているが、彼らの精神構造ややりかたは最近詳らかになりつつある。
即ち、柄のない所に柄をすげてでも騒ぎ立てるのは、被害者のポジションをとりたいからであり、それでないと彼らのビジネスは成り立たない。
人としての本性が根本から違うのである。
だから、彼らに落ち度があることでも決して謝らないし、それどころか相手に責任を転嫁しようとして捏造することすら躊躇わずに演出する。嘘でも何でも自分たちの都合によりでっちあげる。
紛争は、事実を証拠をもって対抗しても決して解決しない。彼らは身勝手な損得しか考えない。唯一の解決方法は、それを続けると彼らにとって手痛い実害が生じるということを身に染みて解らせることのみである。そういう意味では、中国は韓国の扱い方がうまい。

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