2019年1月24日木曜日

戦争なしで領土を返還するとは思えない


北方4島の返還交渉は、なかなか上手くいかなそうである。
基本的にロシアは、領土は戦争によって決まると考える国であるから、根本的に日本とは考え方が違う。
大東亜戦争が終わるまで、北方4島及び樺太は日本領土であった。
ロシアが一方的に不可侵条約を破棄し、8月15日の終戦日以後に不法占拠したそれらの島々は、返還されることなく今に至っているのである。
日露和親条約は、安政21221日(1855年2月7日)に伊豆の下田の長楽寺において、日本とロシア帝国の間で締結された条約であるが、
その第2条において
第二條
今より後日本國と魯西亞國との境「ヱトロプ」島と「ウルップ」島との間に在るへし「ヱトロプ」全島は日本に屬し「ウルップ」全島夫より北の方「クリル」諸島は魯西亞に屬す「カラフト」島に至りては日本國と魯西亞國との間に於て界を分たす是まて仕來の通たるへし
ということに互いの領土は、条約により決まっていた。

今更戦争をするわけにはいかないから、返還は難しいことにはなるが、平和条約を結ぶために、日本が経済援助をするだけで終わりになるのだけは我慢できないとするのが、日本人の大方の意見であろう。


ロシアが戦争によって領土を決めようとするのは、クリミヤ半島への侵攻でも明らかである。
数年前には、中国とも国境争いがあった。
2004年、中国とロシアは国境問題を最終決着させ,国境河川の中州である黒瞎子島/大ウスリー島・タラバコフ島の半分などが中国に引き渡された。それまで両国は戦争していた。
これは、中国が「係争地域」として長年圧力を加え続け、プーチンが最終的に譲歩を決断したものだった。中露の国境紛争は、さかのぼれば17世紀から存在し、度重なる武力衝突も引き起こしてきた。それが最後は“交渉"によって決着するというロシアとしてはきわめて珍しいケースとなった。
その歴史的経験から、私たちはロシアと中国を相手にする上で何を学べるのか? を考えた方がよいのかも知れない。
ロシア・中国の日本大使館で公使を勤めた現役外交官が、両国の重要文献、交渉者の証言、最新の学界の研究成果、現地調査をもとに、交渉を再構成し、両国の歴代指導者と交渉者たちの戦略・戦術を鋭く分析。北方領土と尖閣諸島を考えるための最重要資料となるものであるのだという。

ロシアはクリミアに侵攻したことで経済制裁を受けていて、国内事情は極めて厳しい。
唯一ロシアが売れるものは原油と天然ガスだけであり、それも原油安であるから苦しくて、日本の協力を得てシベリア開発をするしかない。
それなのに、北方4島はロシア領となっていたことを認めろとか、北方領土という言い方をやめろとか、主権はロシアであることを条件で返還するとか、わけのわからないことを言っている。旧島民の方々には気の毒であるが、もう少し困り果てるまで放っておいた方が良いような気がしないでもない。
シベリアは、終戦により帰還できないでいた日本兵がロシアにより多数抑留され、強制労働に従事させられた地である。極寒と飢餓により、その地で日本を思いながらあえ無い最期を遂げた人が多かったことは、拭いようもない記憶として残っている。


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