2015年2月17日火曜日

神様だって人を見ている


願い事が叶う人、或いは叶いやすい人というのはいます。

 

 何らかの願い事があって、神社仏閣に詣でるのはよくあることですが、なかなかその願いの筋が聞き届けられることはないのが普通のようです。

 そんな人は、この世的な日常生活においても同じで、誰かにものを頼んでも、聞いてもらえないことが多いようです。

 

 人は他人にものを頼まれても、親身になってそれをやってあげたいと思える相手と、そうではない相手がいます。

 その差は一体なんなのでしょう。

 明らかに言えるのは、その相手が好きかどうかということであり、好きでもない相手に親身になって助力しようとすることは殆どありません。

 

 好かれるということが大事なのですが、好かれる人というのは、相手が喜ぶことを必ずどこかでやっています。

相手に対して、自分のことだけやってくれなどという虫のいい要求はしません。仮令ちいさなことでも、自分ができることはやっています。

 神様や仏様に対してでも同じことです。お賽銭の多寡では決してないと思えるのです。

 

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傍から見て、さして一所懸命ではなさそうに見えるのに、やることなすこと巧くいってしまう人というのが確かに居ます。

努力は大事ですが、物事が成功するとき、自分の力だけではないものが働いていることを否定できる人はいないと思います。いわゆる運といわれるものの加護のことです。

 

自分は才能・能力はあるし努力も人一倍して頑張っているのに、望む成果が得られていないとしたら、何故そんな境遇のままなのでしょう?

自分一人だけではなんともならないものが現にあるのに気付かないか、気づいてもそのように動かないからではないでしょうか。

人知を超える力に触れるための方法を探ってみるのが良いと思うのです。

 

 

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