梅一輪 一輪ごとの暖かさ
我々が育った昭和30年代は、決して物質的には豊かでなかったけれど、心の豊かさは確かにあったように思えるのです。
庇いあい助け合い、我がことのみでなくまわりを思いやることがたくまずしてできたし、芯のところに優しさがあった。
誰もがそうであったので、貧しいことが恥ではなかったから、変な隠し事はせず、正直でいられた。
苛めは沢山あったし経験もしたが、陰湿なものではなかったし、乗り越えられないというほどのものでもなく、困って相談したとしたら、先生や大人に解決する力があった。
大人や先生に力がなくなってしまったのは、どうしてなのだろう?
子供の権利ばかりが主張され過ぎて、養育に臆病になりすぎていないだろうか。
戦後、否定したのか無視したのか目を逸らしてしまったのか知らぬが、永く培われてきた精神的文化が、いつの間にか損なわれてきているように思えるのです。
一昨年2週間ほどかけて、留学先から帰国することになった倅がお世話になったところを、お礼を兼ねて訪ねて廻った。
行く先々の知人や、生活の必要上からできた八百屋・肉屋・花屋・チョコレート屋さんなどなど、いかに日本人である息子が信頼関係を得て大事にされていたかがわかりました。
彼が言うのに、「あの人はいい人だから会うといいよ。」と紹介された相手は、実に日本人的な発想をする人たちばかりだったと。
彼らが認めるいい人というのがそうだったのだと、今にして理解できるという。
そうして交流が広がったことの基本には、先人たちのお蔭があって、日本人は外国人に好かれている、ということがあるのだと感じます。
私は、公を伴わない権利主張や、言い負かす技術としか思えないディベートや、最近目にすることが多い他人の所為にしてしまうような責任逃れは好きではない。
経済的効率のみを追い求めれば、職人技や文化などが育たないとも思っている。
損得が判断のための第一順位では悲しすぎる。
成人し世に出てからは、厳しい実業の世界で生きてきたけれど、花が咲いているのを見ればそれを愛で、いつでも花一輪を心に秘めていようとしてきた。
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